―――――嫌なものを見てしまった。 そう、瞬間的に思った。 (…最悪…) 溜息を吐いて、そっと廊下の角に身を隠す。 来た道を戻ろうかとも思ったものの、何となく落ち着かず、結局再び『嫌なもの』へと視線を向けた。 其処に居るのは、酷く真剣そうな顔をした、頬を赤らめた少女。その横には―――彼女の話を聞く、カインが。 別に何て事は無い。解放軍時代にもこういう事は時折あったし、『英雄』という肩書きが付いた今では殆ど日常茶飯事な光景だ。 只、僕が落ち着かなくなるだけ。 カインに全く応える気が無いのは判っている。けれど彼に憧れを抱き、頬を染めて想いを告げる少女は、僕の目から見ても可愛らしいと思うから。男を相手にするよりは、彼女達に応える方が良いんじゃないだろうか…と、思考の端で考えてしまうのも、また事実で。 (……その時はその時で、苦しい癖に) くす、と小さく自嘲した。 カインの事を思う振りをして、彼女達の事を考える振りをして、結局僕は何処までも自分本位だ。 「……―――ます…」 微かに耳に届いた声に、はっと俯いていた顔を上げる。しまった、と思った時にはもう遅かった。 隠れる間も無く、此方に駆けてきた少女と鉢合わせてしまう。 「あ…っ」 僕と認識するや否や、かぁっと少女が頬を染めた。狼狽えた様子で視線を彷徨わせ、やがて慌てた風に僕の横をすり抜けて行く。その後ろ姿を見送ってから振り向けば、背を向けていた筈のカインはいつの間にやら此方を向いていて。 その視線にもう一つ溜息を吐くと、僕はゆっくりとカインに歩み寄った。 「…気付いてたんだ」 「そりゃあな」 カインの指が、普段通りの仕草で僕の髪を梳いていく。その事に一瞬ほっとして、けれど普段通りでないものを僕の目は目敏く見つけてしまった。 自然、硬い口調で問うてしまう。 「……それ」 「ん?」 「貰ったんだ?」 視線でカインのもう片方の手を示した。その手に持たれている物は―――多分、手紙。 ……今まで誰からも、何も受け取った事は無かったのに。 堪らず顰めてしまいそうになる顔を隠す様に俯くと、カインはややゆっくりとした動作で封筒をひらつかせた。 「あぁ、これな。呆気に取られて思わず」 「は?」 訳の判らない台詞に顔を上げる。と、カインは口の端を上げて意味深に微笑った。 僕の髪に潜っていた指がゆるりと下りていき、やがて辿り着いた肩をとん、と押す。壁に背が押し付けられ、間近に綺麗な紅が迫って。 くつり、と。 喉で笑う声が、傍で聞こえた。 「…―――ッ…」 身動きの出来ぬまま、唇に柔らかい温もりが触れる。 ちゅ、とゆっくりと何度も啄まれて。つい目を閉じてしまいそうになる瞬間、はっと我に返った。 そうだ。此処は、廊下――――。 「カイ、……ッ!」 慌てて胸を押して押し返そうとすると、その手はあっさりと取られ壁に押し付けられる。そのまま抗う暇も無く、唇の隙間から舌が滑り込んできた。性急な動きで深く絡められ、くぐもった声が喉で響く。 「…―――ん、ぅ…ッ…」 一体何を考えているのか。 幾ら人気が無いとはいえ、此処は公共の場。いつ誰が来てもおかしくないのに。 ――――そんな思考さえも、貪られる感覚にどんどんと流されていって。 「ふ……ぁ…、…っン」 唇の端から漏れ始めた甘い声。珍しく容赦無いカインの口付けに、体は本能に忠実になっていく。 いつの間にか解放されていた手を持ち上げ、ゆうるりとカインの首に回した。弱い力で引き寄せれば、応える様に後頭部に手が回る。上を向かされ、流し込まれるものをそのまま喉に下した。 もっと、とばかりに自ら舌を絡める。 その頃にはもう、周囲など本当にどうでもよくなっていた。 (―――…?) そんな中ふと気付いた、違和感。 意識の端に引っ掛かるそれに、薄らと瞼を開く。何だろう、と視線を巡らせて。 やがて辿り着いた視線が捉えたのは、廊下の角からこちらを見つめる、……先程の、少女。 「……ッ!」 驚愕の表情を浮かべる彼女に、僅かに残った理性が漸く僕に今の状況を思い至らせた。 「ぅ、…ん!」 慌ててどんっとカインの胸を叩いて離れる様に促す。が、回された腕は更に強まり、口付けは深められるのみで。 気付いていないのだろうか。そう思い怪訝に視線を向けると、間近の紅い瞳がすうっと細められた。 その、愉悦を含んだ彩に、直感する。 ――――わざと、だ…! 「んンッ……ぅ、ふ…んっ…」 くちゅり、と水音が聞こえた。 ぞくぞくと背筋が震え、堪らずカインに縋る。痛い位に感じる視線がどうしようもなく羞恥を煽った。 本当に何を考えてるんだろう。 人が見てるのに。 見られてるの、に。 (ああ、でもこれで―――…) これで、カインが誰のものなのか、知らしめてやることが出来る。 「……ふ、っ―――」 そんな自分の思考に気付いた瞬間、僕はカインに全てを預けた。 目の眩みそうな羞恥はこの際無視をする。キスで既に眩暈を起こしている様なものだし、同じ事だ。 再び首に腕を回し、体を密着させる。 開いていた瞼をそっと閉じた。 霞み掛かった思考で。せめてこれ以上他の人間が来ない様に、と。 そう、祈って。 「…………ば、か」 呂律が上手く回らない。舌が痺れている。 結局、どれだけの時間口付けていたんだろうか。 視線を巡らすと、少女の姿は既に無かった。いつの間に居なくなったんだろう。それすら、記憶に無い。 「……なに、考えて……」 はぁ…、と深く息を吐いて睨み上げた。 と、潤んだ瞳に落ちる口付け。宥める様なそれと共に、くすりと笑みが落ちる。悪びれないその様子にむっとし、制裁とばかりに漆黒の前髪を引っ張った。 「こら、痛ぇ」 「…何でこんな事したの」 じとりと剣呑な視線を向ける。するとカインは肩を竦めて。 「……ヤキモチ?」 「は?」 怪訝に声を漏らせば、途端ひらりと目の前を白い物に遮られた。 ………これは、先刻の手紙? 「お前宛」 「……は?」 今度は呆気に取られて声を漏らす。 唖然と見上げると、カインは苦笑気味に小さく微笑った。再び肩を竦め、手紙を持った手で僕の髪を払う。 「だからお前宛。何で俺に、とは言ったんだけどな。どうも俺等を友人同士だと思ってるらしくて」 渡してください! って押し付けられた。 そう続けるカインを余所に、僕は未だ呆けたままだった。 何処の世界に、只の友人と毎日寝食を共にする人間が居るのか。少なくとも僕は御免だ。 女性っていうのは、本当によく判らない…。 「男同士ってのが思い至らねぇのかもな。ま、でもこれで…」 お前が誰のものなのか、ちゃんと判っただろうし? 耳元で囁かれた言葉に、自然頬が熱くなる。 それは、まさしく先程僕が思ってた事と、……同じで。 「…………だからって、やり過ぎ」 「ん?」 「……ばか」 「ん」 くすくすと傍で微笑う気配。 熱い顔を肩に埋め、きゅうっと赤い服を握り締めた。さっさと部屋に戻ろうと風を呼ぶ。 何故だか、今すぐこの男をいっぱいに抱き締めたかった。 ―――その翌日の事。 「その、私気付いたんです。やっぱり私なんかがルック様に告白するなんて、身の程知らずにも程があるし。それにルック様には、カイン様の様な方が相応しいですよね。ええ、凄くお似合いだと思います」 目の前に居るのは、昨日の少女。 彼女は心なしかうっとりとした表情で淡く頬を染め、妙に熱を持った瞳で見つめてくる。 「だから昨日のお手紙の事は忘れて下さい。私、見守る会に入会する事にしたんです。あの……お二人の事、ずっと応援してますから。頑張って下さいっ」 それじゃあっ! と、僕の意見など一つも聞かず、言いたい事だけ言って少女はぱたぱたと駆けていった。呆然とその後ろ姿を見送っていると、不意に横から掛かる声。 「…凄いね。絶好調って感じ」 「………うん……」 何か妙に怖いよね、と言うテンプルトンの言葉は、否定しないでおく。確かに…………怖い。 思わず溜息を漏らすと、腕の中の地図を抱えなおしつつ、小首を傾げて彼が問うてきて。 「所で見守る会って何?」 「……知らない」 ……というか、余り知らない方が良い様な気が、した……。 終 目標にしてたとはいえ、キスシーンが長過ぎたと思います先生!(先生って誰) シリアス一転ギャグ、な展開が好きかもしれない今日この頃。 見守る会についてはまた書きますです。 20041004up ×Close |