その日はやはり、いつも通りの平和な一日が過ぎ去る筈だった。―――戦争中にそれはある意味問題かもしれないが。 しかしその日常はあっさりと覆される事となる。 昼前にもたらされた、一つの知らせによって。 「カインさん、お客さんですよー」 「あ?」 太陽が中天に昇る寸前の同盟軍本拠地の鍛錬場。其処でいつもの様にトラン義勇兵の訓練に付き合っていたカインは、入口付近から聞こえてきた声に、兵士を床へ投げ落としながら顔を上げた。 入口の方へと視線を向けると其処には、同盟軍盟主であるエルと、もう一人。 「……クレオ!?」 グレッグミンスターの屋敷に居る筈の姉代わりの女傑の姿に、カインは驚いた風に声を上げる。慌てて倒れたままの兵士を踏み越えて駆け寄れば、彼女はその反応に満足する様ににっこりと微笑った。 「お久し振りです、坊っちゃん。お元気そうですね」 「あぁ。それよりどうした、こんな所まで」 「少々問題が起きたものですから。内容が内容なだけに、城の鳩を借りるのも少々憚られまして」 肩を竦めて少し困った風に話すクレオに、カインは怪訝に眉を寄せる。 「緊急か?」 「恐らく、坊っちゃんにとっては」 「俺にとっては?」 何じゃそりゃ、とカインが首を傾げた。と、それまで会話の様子を見守っていたエルが、ふと口を開いて二人の会話に割って入る。 「あの、お二人共。こんな所で立ち話もなんですから、食堂に行きません? そろそろお昼にもなりますし」 「あ? あぁ、そうだな」 エルの提案に頷き、カインは鍛錬場の方へと振り返った。 「バレリア、今日はもう良いか?」 投げ掛けられたよく通る声に、バレリアは笑顔で手を振る。 「ええ。次回も時間が合えば宜しくお願いします」 「あぁ」 じゃあ行くか、とカインは二人を促して。 そうして三人は、義勇兵達が死屍累々と転がる鍛錬場を後にしたのだった。 「泥棒に入られたぁ?」 三人に加え、元々カインと約束していたルックと、更に偶然かち合ったシーナも同席しての昼食の席で、素っ頓狂なその声は上がった。 声を上げたカインは眉を寄せ、サラダの中のレタスにぶすりとフォークを突き刺す。 「泥棒って、屋敷にか」 「はい」 ナポリタンスパゲッティをくるくるとフォークに絡めながらクレオが頷いた。 「と言っても目録と照らし合わせて確認した所、金目の物は何一つ盗られていませんでしたが」 続けられた言葉にカインが首を傾げる。 グレッグミンスターにあるマクドール家の屋敷は、元将軍家なだけあって質素ながらも金目の物はそれなりにある。特に書庫にある歴代の当主が残した書物の数は莫大で、値段も付けられない程に貴重な文献が幾つも収められている事は、グレッグミンスターではそれなりに有名な事実だった。 そもそももう継ぐ人間も居ないからと、屋敷を含めそれらを処分して新政権の予算の足しにする様言い残し、カインは出奔したのだったが。 三年後帰ってきてみれば、屋敷は中身も含めてそのまま残されており―――実は、帰る家が残っていた事はそれなりに嬉しかったりしたので、この判断についてはカインはレパントを評価している―――更には戦争功労年金と称し、共和国政府によってかなりの金額がカインの名義で積み立てられていたりして。それについては要らないと突っぱねたものの、全く聞き入れて貰えなかった為、カインは現在進行形で金持ちだったりするのである。 閑話休題。 「じゃあ何が盗られたんだ?」 水の入ったグラスを手に取りながらのカインの問いに、クレオはスパゲッティを嚥下し一つ息を吐いて。 「グレミオの私物です」 「グレミオの?」 「『坊っちゃん健やか成長アルバム五歳〜十歳編』の一巻から十五巻です」 ぶっふぅ! とカインが飲み掛けていた水を勢い良く噴出した。 「成程。だからグレミオがこっちに来なかったんだ」 さっ、と素早く皿を持ち上げカインの噴き出した水から自分の昼食を死守したルックが、納得した風に頷きほうれん草ドリアの皿を再びことりと机の上に置く。あのグレミオが自ら来ないなど、おかしいと思っていたのだ。 「グレミオは現在ショックで寝込んでいるよ。盗まれたのが主な原因だが、坊っちゃんにアルバムの存在を知られてしまった事も要因の一つだろうね。報告に行くのは止めてくれ、と私が出掛ける寸前までしつこく泣き縋ってきていたから」 「あー、ばれたら一発で焼却処分っぽいもんな」 けらけらと笑うシーナに、クレオがちらりと視線を向けて小首を傾げた。 「他人事の様に笑っていて良いのかい? シーナ」 「へ?」 「判らないかな? 盗っ人は、グレミオが坊っちゃんにさえ隠し通せてきた私物の内容を知る事が出来る程の情報網を持ち、尚且つ英雄の幼い頃の写真を欲しがる様な人間だ」 普通の泥棒が偶然アルバムを発見し、売り捌こうと盗んだ可能性も考えたけど、それにしては他の金目の物が一切手を付けられていないしね。アルバムが目的で盗みに入ったと考えるのが妥当だろう。 そう淡々と自分の考えを話し、クレオは楽しげに頬杖を突く。 「そんな人物、トラン国内に一人位しか居ないと思わないかい?」 ……しーん、と。 クレオ一人楽しそうに微笑う中、三人は重く沈黙した。 そりゃあ確かに一人位しか居ませんとも。滅茶苦茶心当たりありますとも。 一人は至極呆れた風に溜息を吐き、一人は世界中の不幸を背負った様に机に突っ伏し、一人は眉間に皺を寄せて痛む頭を抱え、それでも三人は同じ事を考える。 と、不意にぐわし! とカインの手がシーナの肩を掴んで。 「………協力して貰うぞ」 睨み上げられながらの呪詛の様な声に、シーナは青褪めた顔でかくかくとメグの作ったからくりの様に頷いた。 「しょ、しょしょ少々お待ち下さいっっ!! 只今アレン様かグレンシール様をお呼びして参りますので!!」 「あ、おい待っ…」 所変わってグレッグミンスター城前。 昼食後、ルックの転移によってトランに戻り、速攻とばかりにシーナを伴って城へと訪れたカインは、門番の衛兵によって足止めを食らわされていた。因みにルックは面倒臭いという理由でマクドール家に留守番である。 「…………何で此処はいっつもこうなんだ?」 スタリオンの如き速さで衛兵が駆け込んでいくや否や、城内は外からでも判る程騒然とし始めていた。 カイン様が、カイン様がぁ―――!! 何?! へ、兵を収集! 出迎えの用意だ! 音楽隊の準備をしろ! 此処、埃が残っているぞ! 我等が英雄殿の前でこんな失態が許されるとでも…!? 待て、出迎えは中止だ! カイン様は騒々しいのはお好きでは無い筈! こ、今晩の晩餐はどうすれば…!? アレン様は、グレンシール様はまだかー!? 逆鱗に触れかねん! 早急に英雄の間を封鎖しろ!! ……もう滅茶苦茶である。 「…それはやっぱり、親父に後任せて逃げちゃったのが原因じゃねーか?」 ぽつりと返ってきた答えにそうかも、と思い、カインは疲れた風に溜息を吐いた。 「何だ。珍しい奴が来たな」 と、ふと門の向こうから聞こえてきた声にカインはぱっと顔を上げた。自分へ向かって悠然と歩いてくる人物に、ぱちぱちと目を瞬く。 「師匠?」 驚いた声を上げるカインに、カイはとんとん、と棍で肩を叩きながらにやりと笑った。 「久し振りだな、馬鹿弟子。相変わらず風の坊主の所に入り浸っとるそうじゃないか」 「師匠も、相変わらずの老獪っぷりで」 ひゅん、と風を切り突き出された棍を、カインが頭をずらして紙一重の所で避ける。 「厭味を言うならもう少し判り易くしろ」 「精進します」 いや、そんなもん精進しなくても。シーナが内心そう突っ込む中、棍を下げる師にカインはそれで、と問い掛けた。 「わざわざ何の御用です? 鍛錬場と此処は大分離れてるでしょうに」 「離れてるといっても、この騒ぎだ。お前が来た事位すぐ気付くぞ」 「いや、訊いてるのはそういう事ではなく」 「碌に顔すら見せに来ない不肖の弟子の顔を拝みに来たのが、そんなにおかしいか?」 おや、と瞬くカインに、カイはくつりと喉を鳴らして首を傾げる。 「お前こそ、何でまた今日は此処に来た? あれ程嫌がってただろうに」 「屋敷に泥棒が入りまして。グレミオの私物が盗まれたものですから」 「私物?」 「俺の昔の写真のアルバムです。ご存知ですか?」 カインの問い掛けに、カイはふと一つ瞬いて眉を寄せた。そうして呆れた風に溜息を吐く。 「何だ、あやつめ。遂に犯罪にまで手を染めたか」 そう小さく呟かれた言葉に、カインは即座にぴくりと反応して紅い双眸を細めた。ずり、とゆっくりとカイとの距離を縮め、剣呑な視線をじとりと向ける。 余りに据わった弟子の表情に、流石のカイもぎくりと口の端を上げて乾いた笑みを浮かべた。 「………師匠、まさか」 「や…持ってきおったカナカンの三十年物が中々に美味でな。ついぽろりと口が」 「つい、で弟子を変態に売らないで下さいよ!!」 「いや、まさか盗みまで仕出かすとは思っとらんかったんだ」 「普段のあの変態っぷりを見てたら、少しは考え付くでしょう!!」 と、一人白熱していたカインの肩を、不意に誰かがぽんぽんと軽く叩く。 あ!? とカインが勢いのままに振り向けば、其処には呆れた表情のシーナが居て。 「落ち着けって。ほら、アレンさんとグレンシールさん来たぜ」 くい、と親指が示す方向へ視線を向けると、確かに二人が所在無さげに立っていた。その困惑気味の表情に、カインはひとまず怒りを収めて深く息を吐く。 しかしすぐにきっ、とカイに顔を向けて。 「今度秘蔵の東方の清酒を持って来ますから。もう二度と人を売ったりしないで下さいよ」 「判った判った」 肩を竦めてひらひらと手を振るカイに、本当に判ったのか、と思わず眉を寄せたものの、カインはくるりと踵を返してアレンとグレンシールに歩み寄った。 「あの、カイン様。今日はどういった御用けっ…!!?」 そうしてアレンが皆まで言い切る前に、その胸元を掴み鬼気迫った表情で睨み上げる。 「今すぐ、迅速に、何も訊かずにレパントの所に連れて行け」 ゆっくりと区切りながらの地を這う様な声音に、アレンは胸倉を掴まれたまま、やはりメグの作ったからくりの様にかくかくと頷いた。 Next→ ======== 敬語のカイン様に自分で書いててうっかり萌えまくってました(笑) ×Close |