マクドール邸のカインの部屋。その更に奥、古くも深みのある装飾の廊下を進むと、その重厚な扉はある。
重いそれを押し開くと、ふわりと鼻を擽る独特の匂い。少しだけ埃臭いそれは、何処か魔術師の塔を思い起こさせた。
主の居なくなった部屋は、三年前から時を止めたまま。綺麗に掃除された机の上には写真立てが二つ。
片方を手に取ってみると、其処には若かりし頃のこの部屋の主が佇んでいる。
そしてもう一人、その隣には柔らかい銀の髪の、美しい女性。
線の細いその顔は、自分にはとてもよく馴染んだものだ。似た顔を何処までも近い場所で見続けているのだから。
病弱な人だったらしいと、それだけは聞いた。それ以外は知らない。訊くつもりも無い。話すのならば聞く、それだけの話。
ことりと写真立てを置き、止めていた足を再び進める。もう一つの写真立ては忘れた振りをした。―――其処には余り、見たくないものがある。
部屋の奥へと歩んでいくと、一つの扉。ゆっくりと開けば、カーテン越しの柔らかい光が瞳を射した。僅かに目を細めて室内に足を踏み入れると、歴代の当主が代々遺してきた、莫大な数の書物が僕を迎え入れる。
下手な図書館より所蔵量があるこの書斎は、この屋敷の中でもお気に入りの場所の一つだ。無論、量という点においては、魔術師の塔の図書室に敵う訳ではないのだけれど。
それでも、穏やかな空気の佇む此処が、何故だか好きで。
「……カイン?」
毛の長い絨毯が僕の足音を消していく中、本棚だらけの室内に視線を巡らせる。と、視界の端に映った、本棚の向こうからひらひらと振られる手。
歩み寄って覗き込むと、幾冊もの本が絨毯の上に山積みになっていた。
「…グレミオに怒られるよ」
「後で片付ける」
ぽん、と本の山に更に一冊積み上げて、カインは怪訝に首を傾げる。
「此処ら辺だと思ったんだけどなぁ」
「無いの?」
「コル=カーティの水上戦と渡河の奴はあった。只、オルギヌスのが…」
視線は本棚に向いたまま、ん、と薄い朱色の古びた本が手渡された。それは確かに僕が軍師に借りてくる様頼まれた兵法書で。
「無理しなくても良いよ? 軍師にはあるかも、って言っただけだし」
「んー…」
本棚から視線を外そうとしないカインに、苦笑気味に小さく息を吐く。せめて山積みになった本を片付けようか、と周囲を見回して。
(……あれ?)
ふと目に止まった本の背表紙に、僕はそっとカインが背を向けている本棚に歩み寄った。藍色の、この地方では使われていない言語が記されている背表紙を凝視する。
「……カイン」
「んー?」
「あったよ。オルギヌスの水路の奴」
「え」
慌てて振り向くカインにほら、と本棚から抜き取った本を見せて。
「………何でそんな所に…」
暫し硬直した後がっくりと項垂れる様子に、思わすくすくすと笑みが零れた。と、むっと拗ねた顔をしたカインが、不意に腰に手を回して抱き締めてくる。
ちゅ、と額に口付けが落ちて。
「カ…カイン?」
どきまぎと呼べば、それに応える様に熱を持った頬を長い指が滑った。
見上げると満足そうな微笑み。僕の反応に満足した、といった所だろうか。
「これでのんびり出来るんだろ?」
嬉しそうな問いに目を瞬かせる。にっこりと微笑まれて、僕も自然顔が綻んだ。
『本を借りてくるついでに少しゆっくりしてこい』というのが、今回僕に告げられた軍師の言葉だった。それは多分、最近休みが少なかった僕を気遣うというよりは、寧ろカインへの礼のつもりなんだろう。
別に、そんな軍師の意図はどうでもいい。カインの傍に居られるのは、事実。
「…その前に、本片付けないとね」
くすりと微笑って答えると、カインは目を瞬かせて周囲を見回し、やがて苦笑して肩を竦めた。










ふぅ、と小さく息を吐く。
書斎を片付け終え、落ち着いた居間。ぱち、と爆ぜる暖炉の前で温かい飲み物を頂くのは、何とも贅沢な気分だ。
カップの中身がココアなのは、ひとまず気にしないでおく。グレミオの子供扱いは今に始まった事じゃない。
「雪、降りそうだな」
「うん…」
窓の外は木枯らし。
昨日までは結構暖かかったのに、急に冷え込んできた様だ。トランに来たのは正解だったかもしれない。
「今夜は南瓜だと」
さら、とカインの指が髪を掬う。その指先は少し冷たい。
「またシチュー…?」
「温まるだろ」
「…否定はしないけど」
くすくすと微笑う気配。つられるように、僕も頬を緩ませて。
そっと軽く寄り掛かれば、ゆうるりと肩を引き寄せられた。ふとその肩の手を取り、温める様に握り締める。
そのままカップに口を付ければ、甘いまろやかなココアの味。少し離れた所には珈琲の湯気。
ぱちり。また火が爆ぜた。
暖炉の暖かさとココアの温かさが、思考をぼんやりとさせていって。
「こら、落とす」
「あ…」
紋章の刻まれた手が僕の手からカップを奪う。
無くなってしまったココアの香りに寂しさを感じつつも、思考を蝕む睡魔の方が、勝った。
ずるずると体重を預ければ、ふわりと僕の体を包み込む腕。ぽんぽんと頭を撫でられて、心と体が安心で満たされていく。
髪を梳く指先。包み込む腕。こんな時、この温もりは何処までも優しい。
温かさと共に伝わってくる想いは、子供の様に泣きたい気持ちにさせる。
だからこんな風にされる時は、僕は余りカインの顔を見ない。カインはきっと微笑っている。その微笑みを見たら、本当に泣いてしまう様な気がするから。
「……カイン…」
呼べば、こめかみに柔らかい感触。顔を埋めた胸からは、小さく鼓動が響いていた。
とくん、とくん、と。
それは、生きている証。
生きているという、奇跡。
あの部屋で見た写真を思い出す。カインをこの世界に生み出した、人達。
貴方達に告げれば良いんだろうか、この思いは。
それとも別の誰か?
一体誰に?
「…――――ばぁか」
意識が途切れる瞬間。
カインのそんな声が、聞こえた様な気がした。



















66666hit摩亜玖里以様キリリクでした。
リク内容は『何気無い日常の中でカイン様と居られる幸せに浸るルックと、そんなルックが愛しいカイン様』。


…………。
何かリクとズレてる気が…(汗)

あわわ。摩亜さん、お気に召さなければ書き直しますので!(滝汗)



20050103up


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