「お疲れですか?」 日付はもうすぐ二十五日になろうかという深夜。ハズレではあったものの、少々梃子摺る羽目となった任務の帰り道。 もうすぐ本部に着くという気の緩みからか、地下水路で船に揺られながら思わず欠伸を零してしまったところに声を掛けられ、アレンは反射的に片手で口を覆った。ちらりと気恥ずかしさと共に視線を向ければ、船の先では壮年の探索部隊が微笑ましそうにアレンを見下ろしている。 「あと少しで着きます。今夜はクリスマス・イヴですから、きっと皆まだ起きていますよ」 「そう、なんですか?」 「ええ。イヴは毎年コムイ室長主催で、パーティーが行われているんです」 「へぇ…」 パーティーと聞き、何か食べる物は残っているだろうか、とアレンはうっとりと思いを馳せた。残り物でも、肉が残っていれば自分としては満足なのだが―――そんな事を考えている内にやがて船が船着場へと辿り着き、着きました、と声を掛けられアレンは顔を上げる。 と、同時に視界に入った、闇に溶け込む様にして階段に座り込む人物に目を瞠った。 「神田!?」 思わずアレンが船上で上げた声に、神田の漆黒の瞳がふ、と開かれる。 そのまま神田がゆっくりと顔を上げるが早いか、アレンは船から飛び降りて神田に駆け寄った。 「どうしたんですか、こんな所で―――って、わ、ちょっと! 冷え切ってるじゃないですか! どの位此処に居たんです!?」 腰を屈めてふわりと両頬を包み込んできたアレンに、しかし同時にまくし立てられ神田は眉を寄せる。そのまま僅かな思考の後に一つ息を吐き、片腕を伸ばした。 「幾ら神田が体温が高い方っていったって限度があるんですから、ちゃんともっと厚着して暖かいとこ―――うわっ!?」 ぐい、と唐突に腰を引き寄せられ、アレンは咄嗟に神田の肩を掴んで階段の段差に両膝を突く。思いがけず神田の膝を跨ぐ様な格好になってしまい、はっと我に返って慌てて後ろを振り返るが、心得た探索部隊は既に船を片付けに行ってしまった後の様だった。その事にほっと吐息を漏らし、それならば、と思考を素早く切り替えアレンは神田に視線を戻す。 白いシャツに黒いスラックス、という普段の休日の出で立ちに団服を肩に羽織っただけ、という冬にしては薄着過ぎる相手の格好に、アレンは呆れ混じりの溜息を零しながら低い位置で髪を纏めた神田の頭をそっと抱き締めた。腰に回された腕の力がお返しの様に強められ、その事に口許を緩めながらアレンは神田の額にちゅ、と口付けを落とす。 「ただいま」 「…ああ」 「アクマが多くてちょっと梃子摺っちゃいましたけど、怪我はしてませんよ」 「ああ」 「神田は? この前の任務で酷い怪我とかしてませんか?」 「してねェよ。誰に向かって言ってやがる」 そうですね、と微笑いながら答え、アレンは再び神田の頭を抱き締めた。心地好さそうに目を伏せてアレンの胸に顔を押し付け、視覚という人間の感覚の一つすら無条件に預けてくる神田の姿に、アレンは愛おしげに顔を綻ばせながら漆黒の髪を梳く。 「それで、どうしてこんな所に居たんです?」 「…………」 「? 神田?」 ふと黙りこくってしまった神田にアレンは首を傾げた。 しかしどうやら答える気が無い訳ではなく、機を窺っているだけの様で。 その事を不思議に思いつつもアレンが何も言わずに待っていれば、神田は不意に身じろいで自身の胸元から何かを取り出す。そのまま手元のそれを一瞥すると、顔を上げてアレンの頭を引き寄せた。アレンが反応を返す前に唇を重ね、その耳元に口許を寄せる。 「Happy birthday」 「……え?」 ぱちり。アレンの銀灰色の瞳が瞬いた。 数瞬の間の後、アレンは引き寄せられていた体をぱっと起こす。そうして思わずまじまじと見つめれば、神田は舌打ちと同時に気拙げにふい、と顔を逸らした。―――その目許は仄かに赤い。 「……やっぱ柄じゃねェ」 ぽつりと零された呟きと共にどん、と胸に軽く拳が押し付けられ、アレンは何事かと視線を落とす。と、目線で手を出す様に促され、慌ててそれに従った。 しゃら、り。 耳に届いた音に、星の欠片の様だとアレンは思う。 胸に押し付けられていた拳が開かれ、まず一番最初に目に入ったのは鈍い銀色。ぽとりとアレンの手の中に落ちたそれは小さく、コインよりは少しだけ大きめで。耳を澄ませば、微かに規則正しい音を響かせていた。 手の中の、細い鎖のついた小さな銀色の懐中時計に、アレンは唖然と神田を見つめる。 「それだけ小さけりゃ、任務に持ってっても支障無ェだろ。要らねェってんなら捨てろ」 神田のその台詞に、アレンは反射的に言葉を返していた。 「な、なんで―――あ…あの、でも、誕生日っていっても正確な日付は判らなくて、今日はマナに拾われた日ってだけで」 思えば、こんな風に何か物を贈られて誕生日を祝って貰った事なんてあったろうか? 「多分、ううん、きっと本当に生まれたのは別の日で、だから、その」 幼い頃、アレンがマナにプレゼントとして贈られていたのは食べ物やお菓子ばかりだった。旅の生活の中では無闇に荷物を増やす訳にもいかないし、何より貧しい生活での中、アレンが一番喜んだのがそれだったからだ。 クロスは女性以外に何かを贈る事自体思い付きもしないだろうし、何よりアレンにはクロスとクリスマスを過ごした記憶は全く無い。 だから、こんな風に父以外と過ごすこの日は、初めてで。 「……だから…、…………」 『誰か』に、生まれた事を祝って貰えるだなんて、本当に初めてで。 「………、……あ、りが…とう、…ございます…」 見る見る内に赤く染まった頬を隠す様に、アレンは神田の肩に顔を押し付ける。しっかりと抱き締めてくれる腕に、目許が熱くなって涙が滲んだ。 両手できゅう、ときつく、でもそっと懐中時計を握り締めれば、胸が幸せで溢れてしまいそうで。 アレンはゆっくりと顔を上げると、その幸せを与えてくれた相手に向かってふんわりと微笑い掛ける。 「…本当に有難う、神田。凄く嬉しい。大事にします」 有難う、と再び繰り返し、アレンは神田の首に腕を回して口付けた。キスを甘受する神田に強く抱き付き、口付けを深くする。 ぴったりと密着した胸から伝わってくるのは、お互いの確かな温もりと、鼓動と。 「……ジェリーが、お前の分の料理とケーキを取り分けてた」 やがて途切れたキスに続いて囁かれた言葉に、アレンはふと目を開けて神田を見遣った。キスの余韻に色付くその唇を親指の腹で拭い、神田はアレンの白髪を掻き上げる。 「帰還の報告にしても、今はコムイも食堂に居るだろ。行ってこい」 「食堂って……あ、パーティー!」 声を上げたアレンを立たせ、神田も立ち上がった。 傍に立て掛けていた六幻を拾い上げる神田に、アレンは首を傾げる。 「神田は、パーティーには行かないんですか?」 「…この時間帯は、もう酔っ払いの巣窟なんだよ」 だから行かないと暗に告げる神田に、アレンは暫しの逡巡の後、そっと手を伸ばして神田の服の裾を掴んだ。 誕生日だから。 一年でたった一度きりの日だから。 「……行きませんか?」 ―――ちょっとだけ、我侭を言ってみたくなったのだ。 「あ?」 「パーティー、行きませんか。僕が御飯食べてる間だけで良いですから」 今日は、神田とずっと一緒に居たいです。 そう真っ直ぐに告げてくるアレンに、神田は息を詰めて何ともいえない表情を浮かべる。が、暫しの間の後くるりと踵を返すと、黙々と階段を上り始めた。 「神田」 アレンが思わずその背中に声を掛ければ、神田はぴたりと足を止めて顔だけでアレンへと振り返る。 じっと見下ろされ、アレンはぱちぱちとその銀灰色の瞳を瞬かせた。 「…………」 「…神田?」 「………、……食堂」 「え?」 「食堂、行くんだろうが」 ぱち、り。ぼそぼそと呟かれた言葉にアレンは目を丸くする。 しかしそれも一瞬の事。すぐに嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、アレンは階段を駆け上がって神田の腕にぎゅっと抱き付いた。―――どうやら、今日は存分にアレンを甘やかす所存らしい。 くっついたまま歩き出しながら、アレンはふふ、と小さく微笑って神田の腕に頬を擦り寄せる。 「神田」 「何だよ」 「有難うございます」 「…ああ」 「それから―――」 耳元でそっと囁かれた言葉に、神田は微かに口の端を上げて。 「俺はキリスト教徒じゃねェよ」 「今日位は神様だって大目に見てくれますよ。諸人こぞりて、なんて曲もある位なんですから」 「そんなもんか?」 「そういうもんです」 にっこりと微笑ってそう答え、アレンは再び神田の腕にそっと擦り寄った。 ああ、どうか。 目の前の愛しきこの人に、聖なる夜の神の祝福が在らん事を。 ――――メリークリスマス。 終 アレン様生誕祝いでした(そこ!1日遅れじゃんとか突っ込まない!!) てゆーかアレだ。アレン様を喜ばせようとしたら神田が偽物になった。こんな神田は私は嫌だ(←書いたの貴方ですが) 『いつくしみ深き』というのは賛美歌312番のタイトルですね。クリスマスや結婚式とかによく歌われる曲です。 20071226up ×Close |