その部屋のドアを開くが早いか、ティキはぱちぱちと幾度か目を瞬かせた。 視線の先には、ふわりと揺れる純白。 「―――アレン?」 ティキが我知らず零した家族の名は思い掛けず室内に響き渡り、それに反応する様にソファーに腰掛けたままアレンはゆっくりと振り返る。そうして視界に入った家族の姿に柔らかく微笑んだ。 「今日和、ティッキー」 「お前、何でこんな所に居るんだ? 確かこの前、やっと教団入りしたって千年公が言ってたと…」 礼儀正しい挨拶に片手を上げて応え、ティキはソファーに歩み寄りながら疑問を口にする。それに肩を竦める事で返し、アレンは手元のティーカップに意識を戻した。 「『エクソシストのアレン・ウォーカー』は、現在任務先でのアクマでの戦闘中に迷子になり、絶賛行方不明中です」 ロードにお茶に誘われたんですよ、と付け加えられ、ティキはソファーの背凭れに手を突きながら成程、と相槌を打つ。アレンの言葉を裏付ける様に、彼の目の前に置かれたローテーブルには、所狭しと様々な菓子とティーセットが並べられていた。 ローテーブルからアレンに視線を戻し、ソファーを回り込んで彼の横へと腰掛けながらティキは再度問い掛ける。 「で、そのロードは?」 「先日千年公から貰ったとっても美味しい砂糖菓子を部屋に忘れたとかで、さっきレロと一緒に取りに行きました」 「……ユウは?」 「他のエクソシストとトルコに行ってます。単独任務なら、同行してる探索部隊を殺して引っ張ってくるんですけど」 つまらない、と言わんばかりの顔で軽く唇を尖らせる様子に、ティキは思わず苦笑を漏らす。 しかしすぐにその笑みを消すと、まるで品定めをするかの様に目を細めながらそろりとアレンに手を伸ばした。 ―――そうか、居ないのか。 「…なぁ、アレン」 「はい?」 振り向いたアレンの手からティーカップをやんわりと取り上げ、ティキはそれをローテーブルに残されたソーサーの上に置く。アレンは何の疑いも持っていない、しかし同時に不思議そうな表情でティキのその行動を見つめていた。 次の瞬間、くるりと回った己の視界にアレンは目を見開く。 「―――何のつもりですか」 耳に届く地を這う様な低い声にぞくりと背筋を震わせつつ、けれどそれを悟られない様にティキはソファーに押し倒した少年に向けて悠然と微笑んだ。 真下からは冷たく見据えてくる銀灰の双眸。 この綺麗な色が自分だけを見てくれたなら、と、一体どれだけ切望した事だろう。 ティキがゆっくりと身を屈めて唇を寄せようとすれば、アレンは嫌そうに目を細めて小さく嘆息する。 「ユウに刻まれますよ」 その言葉を聞いた途端、ぴた、とティキの動きが止まった。 今度はティキが嫌そうな顔をしてアレンを見下ろす。 「…あのさぁ、アレン。お前デリカシーってもんが無いの?」 こういう時にユウの名前を出すってどうよ、と不満げに零される呟きを、アレンはふんと鼻を鳴らして一蹴した。 「残念ながら、男に使うデリカシーは持ち合わせていないもので」 アレンのデリカシーは女性限定らしい。流石紳士。 ティキが内心そう感心していると、アレンは彼を睨み上げる様にして再度口を開く。 「離して下さい。でないとユウが刻む前に僕が貴方を殺しますよ」 「一回位良いじゃん。ちょっと前までお前、プロのお姉さん方としょっちゅうアレコレしてたろ。今更操立ててどうすんだ」 「一夜限りの割り切った関係と貴方とじゃ、全然違うでしょう」 呆れた様に零された言葉に、ティキの動きが再び止まる。 しかし程無くして小さく苦笑すると、手を伸ばしてそろりとアレンの頬を柔らかく撫ぜた。 「……其処まで判ってんなら、一度位受け入れてやろうって気にならないか?」 「なりませんね。僕が愛してるのはユウですから」 頬を撫でられる感触に目を細めつつ、しかし拒む素振りは見せずにアレンはそれに、と続ける。 「貴方は付け入るのが上手いですからね。一度許したら更に次、と済し崩し的に関係を続ける羽目になりかねません。そんなのは御免です」 確かに、とティキは密かに頷いた。 一度抱いてしまったなら、自分はそれを弱みに何度も彼を手に入れようとするだろう。そういう自制心が弱い方である事を、ティキは確かに自覚していた。 「と、いう訳で」 不意に、ぽつりとアレンの呟きが零れる。 ん? とティキが瞬きながら見下ろすが早いか、アレンは押し倒された状態のまますぅ、と深く息を吸って。 「い、や―――っ!! ティッキーにおーかーさーれーる―――っっ!!!」 突然の叫びの余りの内容に、ティキは本気でひっくり返りそうになった。 人聞きが悪すぎる! と一瞬思ったが、確かにあわよくばと思っていた事は事実なので反論も出来ない。 「ちょ、ちょっ! アレンちょっと待て!」 「たぁーすけてぇ―――!!!」 「アレ…!」 これは拙い、とティキは反射的にアレンの口を手で塞ごうとする。 しかしいきなりドン! と背中を襲った衝撃と、同時にひたりと首筋に添えられた鋭い何かに、その行動は幸か不幸か未遂に終わった。 ぴたりと動きを止めたティキの背後に黒猫に変化した家族の姿を見つけ、アレンは喜びも露に微笑む。 「ルル!」 「アレンから離れなさい。この変態ちぢれ毛」 「ちぢ!!? や、それはちょっと酷…」 「は、な、れ、な、さ、い」 「………はい」 一音一音区切りながらの命令に、ティキはそろそろと両手を上げながら上体を起こした。その体がアレンから完全に離れた事を確認すると、ルルはちりんと首の鈴を鳴らしてティキの背中から飛び降りる。そのまま己の胸へと擦り寄ってきた彼女を、アレンは嬉しそうにぎゅっと抱き締めた。 「アレン、大丈夫ですか? あんな変態に組み敷かれるなど、恐怖以外の何物でもなかったでしょう」 「大丈夫、ルルが来てくれたからもう何ともないですよ」 「それは良かった。でも可哀想に。あのちぢれ毛の暴挙は、必ず主に報告しておきますからね」 「うん、有難う」 ………変態ちぢれ毛はもう決定なんですか。 そう突っ込みたかったものの、それを行動に移せば即座に肯定されるのは目に見えていたので、ティキは先程爪を立てられた首筋を撫でながら涙を飲んで沈黙を貫く。 と、ふとドアの向こうから聞こえてきたパタパタパタ、と駆けてくる音に、三人は同時に顔を上げた。 すると。 「ティッキーってば泣き叫んで嫌がるアレンを押し倒して手足拘束して鬼畜絶好調で犯っちゃうなんてそんな事しちゃ駄目ぇー!!」 「ティッキー酷いレロ! ユウたまにチクってやるレロ!」 「誰がするかぁ!!」 ばったーん! と勢い良くドアを開けて飛び込んできたロードとレロの発言に、ティキは反射的に全力で反論する。途端にロードは不満そうに唇を尖らせた。 「えぇ〜? しないのぉ?」 「するか! 人聞きの悪い!」 「そうですよ。そもそも僕が易々とそんな事させる訳ないじゃないですか。ティッキー如き、犯られる前に殺ってますよ」 「それもそっかぁ」 「そうレロ。ティッキーには無理レロ。アレンたまの方が強いレロ」 「…………」 理不尽を感じるべきは、自分を如き扱いしたアレンか、それともそんなアレンに同意しさらりと掌を返したロードか。 取り敢えずレロは後で覚えてろ、と沈黙を守りながらも復讐を誓うティキをちらりと見遣り、アレンはルルを抱いたまま不意にすっくと立ち上がる。 「アレン、どうしたのぉ?」 「ティッキーの所為でお茶が冷めちゃいました。用意し直すついでに場所も変えませんか?」 もう此処で飲む気になれません、とさり気無く棘のある言葉を吐くアレンに、ロードが良いよぉ、と笑顔で頷いた。それに有難うございます、と微笑み返し、アレンは迷いのない足取りでさっさとドアへと向かっていく。 「………なぁ」 しかし部屋を出ようとするが早いか背中に投げられた声に、アレンはぴたりと足を止めた。 振り向けば、其処には真っ直ぐに見つめてくるティキの瞳が二つ。 「ユウは確かに見た目は極上だ。中身もまぁ…人によっては極上なんだろ。―――けどな、アレン」 途切れた言葉の代わりにその瞳に宿るのは、焦がれる様な恋情。 「あいつの何処が良いんだ?」 問い掛けは、しんとした室内に冷たく落ちる。 少しの沈黙の後に一つ嘆息すると、ややあってアレンはふわりと柔らかく微笑んだ。 その余りに綺麗な微笑にティキが目を瞠るも、しかしアレンはそれを余所に、そのまま歩みを再開して何も言わぬまま今度こそ部屋を後にする。 後に残されたのは、唖然としたティキと、ロードと。 「馬っ鹿だねぇ、ティッキー」 くすり。からかう様な笑いと共に寄越された言葉にティキがのろのろと視線を向ければ、ロードは至極楽しげに笑っていて。 「それが判んないから、アレンはティッキーを選ばないんだよぉ」 言い切るが早いか、ロードはくるりと踵を返して軽やかな足取りでドアの向こうへ消えていく。 「…………」 そうして部屋には、途方に暮れた青年と、冷めた紅茶と、半端に手が付けられた菓子だけがいつまでも。 いつまでも、いつまでも。 因みに後日、ユウに袋叩きにされるティキが双子によって目撃されたが、それはまた別の話。 終 拙宅のティッキーは所詮こんな役回り(笑) タイトルは辞書の例文から拝借しました。 『両天秤に掛けようったってそうはいきませんよ』……という感じの意味になる筈なんですが、さっき翻訳サイトで翻訳してみたら、えーと…、…………(これだから英語音痴は!) 20090730up ×Close |