どさり。
鈍い音を立てて、男の体が地に沈んだ。
既に己の同胞や敵が沈む、血が染み込んだ大地で幾許か苦しげに藻掻き。やがて男は静かに息絶える。
そうして、只の肉塊になって。
自分が殺した、もう何人目かも忘れたヒトの最期を見取って、そっと空を見上げた。
蒼い、空。
反して自分は嫌な位に真っ赤。血に、染まり切っている。
「カイン!」
呼ばれて、振り向いた。
敵ではない。聞き慣れた味方の声…、―――ビクトールだ。
「怪我は……って、そんだけ血塗れじゃ判んねぇな」
近付いてきたビクトールがボリボリと頭を掻いて困った様な表情を見せる。それを軽く睨み上げて。
「誰の所為だよ」
今の自分は、頭から被った様に天辺から爪先まで血塗れ状態。
否、被った様に、ではなく実際思いっ切り被ったのだ。ビクトールが切り付けた敵兵の、頸動脈から勢い良く噴き出た血を。
(……ったく)
あんな所に居て、更に避け切れなかった自分も悪いが。もうちょっと切る場所を考えろ、とどうにもビクトールにとっては理不尽な事を考える。もう一度睨み上げれば、ビクトールは苦笑いを浮かべて血塗れた俺の髪をぐりぐりと掻き混ぜた。
「まぁ気にすんなよ」
「気にする。戻ったら酒奢れよな。安酒じゃ妥協しないんで其処んとこ宜しく」
ゲッ! と顔を引きつらせ、弁解の余地無くビクトールがすごすごと去って行く。見ればその向こうには何人かの敵兵の姿。まぁ、あの位ならビクトール一人で何とかなるだろう。そう考えて、乱戦模様を見せるこの前線を見渡す。
大分落ち着いてきたな、と息を吐いて。
「…―――ッ」
そうするが早いか、不意に血生臭さの無い風が強く吹いた。
思わず目を閉じて。しかし一瞬後には開いて後ろを振り向き、その姿を視界に捉える。
「ルック」
前線にそぐわぬ綺麗なままの少年は、呼ばれると器用に死体を避けて、とことこと歩み寄ってきた。真っ直ぐに俺を見上げて少々面食らった表情を見せる。
「…真っ赤」
「血ぃ被ってな」
「終わったら水浴びしなきゃ、ね」
「そうだな」
戦場―――しかも前線には似つかわしくない、日常の様な静かな会話。
一瞬、命のやり取りをしている今の状況を忘れそうになって。慌てて思考を振り払った。
「で、どうした?」
兵団長直々に、と問うと、ルックは少し首を擡げて俺を見つめてくる。
「…本隊が囮になって前線に突っ込んだ、って報告が入ったから」
「うん?」
「だから、忘れ物」
「わ―――」
……すれ物?
そう問う前に、言葉は封じられた。
血塗れた服に伸びる白い手。あぁ汚れる。そう思う前にそれはやんわりと紅を掴んで。
弱い力で引っ張られる感覚。抗えずに腰を屈める。
近付いた白い面。
透明な翠蒼。
重ねられる意図を以て迫る、柔らかい小さなくちびる。
そっと触れ合いそうになって。
温もりを感じるか否か。
触れるか触れないかという所で――――また、……そっと、離れた。
「―――…」
思わず呆気に取られてじっと見つめる。と、ルックは可笑しそうに小さく淡く、見せつける様に微笑んで。
「……続きは帰ったら、ね」
そう一言囁き残して、さあっと風に掻き消えた。
「…………」
後に残るは、先刻までの出来事が幻の様な戦場の現実。
血の噎せ返る臭い。
死に近い者の呻き。
生と死の混在する場所。
此処では一歩間違えば、簡単に死へと足を突っ込む。
それを引き止めるのはたった唯一。
未練。
心残り。
そういう名をした、生への執着。
「……やられた」
そっと指先で唇に触れて、くっ、と喉で小さく笑った。
こんな心残りを置いていかれては。生への道標を示されては。
勿体無くて、死ぬ事も出来やしない。
「………か、…ッ……」
ひゅ、と風を切って棍を後ろに突き出す。
と、同時に上がる掠れた悲鳴。腕に感じる、ごり、と喉仏を潰した感触。
相手の動きが止まったのを悟るが早いか、振り返り様に横薙ぎに頭部へ一撃を叩き込んだ。先程俺に剣を振り下ろそうとしていた男の体が、人形の様に大地に吹き飛ぶ。
動かなくなった男に一瞥をくれて、その向こうに視線を遣った。
近付いてくる数人の敵兵。
それらに、せめてもの慈悲に優しく微笑い掛けて。
「――――じゃ、さっさと終わらせてご褒美を頂きましょうかね?」
快活に、大地を蹴った。


生きて、帰る為に。













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