「………ルック?」
紅い瞳が幾度か瞬いた。驚きというよりは、呆気に取られている様な、そんな。
カインのその様子に促される様に、自分の先程の行動を反芻する。
今僕は何をした?
可愛い、って思った。そうしたら体が勝手に動いた。いつもとは逆の身長差を埋める様に少し背を屈めて。間近で仰いだ見開かれた紅い瞳と、その直後の、柔らかい―――。
「……―――ッ!?」
かあぁっ! と不意に頬に熱が走る。
居た堪れない様な。恥ずかしい様な。そんな気持ちがごっちゃになって、僕は転移する事も忘れて慌ててカインの横を擦り抜けて階段を駆け下りた。
「ちょ、おい、…ルック!」
後ろで呼び止める声が聞こえたけれど、そんな事には構っていられない。がむしゃらに、あても無く必死に走って。
はっと漸く我に返ったのは、耳に湖のさざ波が届いた時だった。
足を止め、夜の闇が満ちる辺りを見回す。
「………船着場…」
はぁ、と荒い息を一つ吐き出した。よくもまあこんな所まで、と自分に少々呆れつつ、肩の力を抜いて桟橋を進む。
走った所為か、頬だけでなく全身が熱くて。その事が少し有り難かった。
辿り着いた桟橋の端に腰掛け、ほぅ、と小さく息を吐き出す。
ぎゅっと膝を抱えて。
「……何て事、したんだろ」
改めて考えると、洒落にならない位とにかく恥ずかしい。
今まで、カインからなら数え切れない位にキスを貰った。僕からも、頬とか、額とかなら、何度か。
でも、唇には一度も無くて。
唇には、どうしても、出来ていなくて。
しようとする度に真っ赤になって固まる僕を、カインはいつも苦笑して宥めてくれていた。「いつか、な」と。それが、約束の言葉。
その言葉の通りに、いつか出来る様になれば良いな、と。
カインが一杯僕にくれる様に、僕もカインにあげれる様になれば良いなと思っては、いたけれど…。
「…心の準備位させてよ…」
溜息混じりにそう呟いて、膝に顔を埋める。
僕の体は一体どうなってしまったんだろうか。
カインの事となると、勝手に動いたり、言う事を聞かなくなったり。本当に滅茶苦茶だ。
それがまた恥ずかしくて、苦しくて。
でも何処か、……嫌じゃ、なくて。
好き勝手に動くカラダ。その度に何かを覚えるココロ。
ゆっくりと、けれど確実に。カインと出逢うまでは空っぽだった僕の中に、何かが満ちていく気がして。それが嬉しいと、思う。
そんな僕なら、カインに想われても赦される様な気が――――する、から。
「……っ」
不意にぴくりと肩が震えた。
後方。ゆるりと近付いてくる気配。馴染んだそれに、折角落ち着いた心臓がまたどくりと跳ねる。
勝手に思い出される唇に触れた感触。よく知ったものの筈なのに、何故だかそれは初めて触れる心地がした。
柔らかかった、な。
そんな事を考えている内に、ふわりと後ろから抱き締められて。
今すぐ此処から逃げ出してしまいたい気分なのに。
ああ、またカラダが言う事を聞いてくれない―――。
「何で逃げるかな」
びくり。耳元の少し低い声に、肩が竦む。
「…ちょ、っと、色々」
「色々?」
「そう、色々」
喋り方がぎこちない。
何やってるんだろうか、僕。ふとそう思って。
「………あのな」
そしてすぐ傍で囁かれた。
「滅茶苦茶嬉しかったんだけど」
呟、き。
「……ッ…」
頬がまた熱を持つ。けれど体はすとんと力が抜けて。そろりと視線を後ろに向ければ、告げられた言葉の通り嬉しそうな微笑み。
何だかなぁ、と思った。
だってあんな事言われたら。そんな顔されたら。
どんなに恥ずかしくても照れ臭くても、もう一度してあげたい――――なんて。
(…思っちゃうじゃないか)
溜息を一つ零した後、僕の体を包み込む腕の中で、くるり、体ごと振り向く。
「……ルック?」
不思議そうにするカインには構わず、そっとその頬に触れた。どんどん熱くなる自分の頬は、努めて気にしない振りをして。
どくどくと心臓が鳴る。ゆっくりと顔を近付ければ、意図に気付いたのかカインの瞳がゆるりと伏せられた。
その紅が見えなくなるのは、何処かほっとする様な、けれども落ち着かなくなる様な。
曖昧な心から目を逸らす様に自分も目を伏せ、緊張と共に柔らかいそれを重ね合わせる。
そうして感じたのは、堪らなく心地好い眩暈の様な、痺れ。
「…………心臓が…」
「…ん?」
「……破裂、しそう」
そぉっと離れた後、ずるずるとカインの胸に顔を埋めて呟いた。
どきどきして、苦しくて。なのに何故壊れてしまわないんだろう?
そんな風に疑問に思っていると、僕を抱き締める腕にきゅっと力が込められて。
「俺もだ」
胸から伝わる鼓動。
それはやっぱり、壊れないのが不思議な位、の。













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