【嫌い】





「大丈夫? ルック」
「ん…」
軍主の執務室に置かれた上質のソファ。
其処に腰掛け柔らかい毛布に包まる少女の顔は、青を通り越して白い。
そんな彼女に温めたミルクの入ったカップを手渡しながら、アップルは苛立ちも露に眼鏡の縁を押し上げた。
「全く。あの人も、こんな時位休ませてあげれば良いのに」
少女が、遠征で大怪我を負って帰還したのは昨日の事。
傷は紋章で癒したものの、流した血は傷と違いすぐに回復出来る訳も無く。貧血と体調不良の中、更に追い討ちを掛ける様に月のものが始まってしまったのは、少女にとって間が悪いとしか言い様が無いだろう。
「本当に、何を考えてるのかしら。曲がりなりにも恋人なんでしょうに」
今は不在の部屋の主を思い浮かべながらアップルは悪態を零す。そんなアップルに苦笑しつつ、少女は目の前のテーブルにカップをことりと置いた。
「仕方無いよ。遠征に出てた分、やる事は一杯溜まってる」
「でも、だからって」
「子供も、女も関係無いよ。僕は兵団長として立つ事を了承し、その地位に就いた。なら義務と責任は果たさなきゃならない」
強い双眸を真っ直ぐに向けられ、アップルは言葉に詰まる。軍という場所に身を置いている以上、どちらが正しいかは判りきっていた。
堪らず唇を噛んで顔を伏せるアップルに、少女はふ、と表情を緩める。
「…それに、カインは僕に充分甘過ぎるよ。今日だって、譲歩なんて言葉じゃ足りない位」
ぽつりと零れた、自嘲めいた少女の言葉に、アップルは心の内だけで知ってるわ、と呟いた。
―――そう、本当は知っている。
彼が、朝から少女の事を頻繁に気に掛け、こっそりシーナに様子を見に行かせていた事も。
真っ青な顔で仕事をしていた、という報告を聞いた途端、頭を抱えて即座に部屋を後にした事も。
ぐったりとした少女を抱き抱えて戻ってきた時の、心底心配そうな彼の表情も。
……本当は、―――知っている。
「…―――アップルは」
そろりと零された呟きにはっと我に返り、アップルは慌てて少女を見下ろした。
と、其処には何もかもを見透かしてしまいそうな、硝子の様な翠蒼の一対の双眸。
「アップルは、カインが嫌い?」
答えの判りきった問い掛けに、アップルは軽く眉を顰める。
「嫌いよ。知ってるでしょう」
「違うよ、マッシュを戦争に引きずり込んだ『解放軍軍主』じゃなくて」
ふ、と僅かに疲れた様に、少女は浅く息を吐いて。
「アップルは、……『カイン』が、嫌い?」
真っ直ぐな問い掛けに、言葉に、詰まった。
「…………」
どう言って良いか判らず、アップルは堪らず視線を逸らす。
答えられなかった。
答えては、いけない様な気がした。
答えたら、最後の様な気がしたのだ。
だから。
「……嫌いよ」
「アップル」
「嫌いって事にしておいて。―――まだ」
軽く目を瞠る少女の肩をそっと押し、アップルは彼女をソファへと横たえさせる。
「書類は粗方処理し終えたんでしょう? 少し眠った方が良いわ。…あの人が戻ってきたら、起こしてあげるから」
ね、と促すアップルに僅かな逡巡の後小さく頷き、少女はソファの上でころりと丸まった。そろりと目を伏せ、しかしふと何かに思い至った様に再び目を開き、そろりとアップルを見上げる。
「…アップル」
「何?」
「あのね、きっとカインはアップルの事、…好きだよ」
言うだけ言うと、少女はすぅ、と眠りに落ちた。
そんな少女を見下ろし、アップルはぽつりと独り言の様に呟く。
「……知ってるわ」
まるで噛み締める様に。
まるで慟哭の様に。
「だって、あの人は私の事――――大切な、仲間だと思ってるんだもの」
ほんとうに、ばかなひと。
涙の様な囁きは、少女に届く事は無かった。





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ルー&アップルでした。幻水今年一発目がこれってどうなの自分…。
カイン様とアップルの和解は2時代での事になります。というか寧ろ1終了(マッシュ死亡)の時点で関係はルックをも巻き込んで更に悪化し、そのまま3年が経過します(うわぁ)


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