いつも通り図書館で本を借り、石板前に戻ろうかと歩いていれば、木々の間から見えた若草色と朱色。
「……何やってるのさ」
近付いてみると、予想通りそれは英雄と謳われるトランからの客人で。
声を掛ければ、さも今気付いたかの様ににっこりと微笑い掛けてくる。どうせ近付く前から気付いてたんだろうにさ。厭味ったらしいんだよ、全く。
「何? その状況」
問うと、彼は人差し指を口に当てて静かに、と暗に語り掛けてくる。
「何って…、見たまんまだよ」
見たまんま。
それは彼のトランの英雄が同盟軍の盟主に膝枕をしている、この状況の事を言うのだけれど。
(……どうも感想を述べ難い光景だよね、これ)
そんな僕の思考を知ってか知らずか、彼は僕にもう一度小さく微笑い掛けると、自分の膝で安らかに眠る少年の、風に靡く髪をゆっくりと梳いた。
その顔に、零れんばかりの想いを篭めた慈愛を浮かべて。
―――その顔さえ見れば、彼が少年の事をどう思っているかは、一目瞭然なのだけれど…。
「……あのさ」
「ん?」
顔を上げる彼と視線を合わせる様に、僕はふわりとしゃがみ込んだ。溜息を一つ吐いて問い掛けてみる。
「…こいつが君の事好きだって、知ってる?」
「……知ってるよ」
にこりと微笑んで返してくる答えに、僕は間髪入れずもう一つ問い掛けた。
「じゃあ、こいつがそれを片想いだ、って勘違いしてるのは?」
その問いに、彼の表情が一瞬だけ消える。と、その直後には苦笑めいた微笑みをその顔に浮かべて。
(成程。わざと、か)
答え代わりのその微笑にそう悟り、僕は小さく嘆息した。
「それで良いの? 君は」
「良い訳じゃ無いけど」
彼が、再度その焦げ茶の髪に指を通す。
「……もう少し、ね」
そうぽつりと漏らす彼は、少し淋しそうに見えた。
「……あっそ」
判らなくも無いのだ、その心は。
それは、怯え。
また喪くしてしまわないだろうかと。また守りきる事が出来ないのではないかと。
(仕方の無い事だとは思うけどね)
幾度も味わう哀しみに、―――人は自然、臆病に、なる。
「…まぁ、僕にはどうでも良い事だけど」
そう言って立ち上がり去ろうとすれば、ルック、と名を呼ばれ引き止められた。顔を向けると淡く微笑まれる。
「何さ」
「本当にどうでも良いって人間は、先刻みたいな質問もしたりしないよ?」
僅かに笑いを含んだ言葉が、少しだけ癪に触った。
「…言うね、君も」
「褒め言葉として受け取っても良いの? それ」
「さぁね」
今度こそ踵を返して去ろうと足を進める。と、その歩みを一旦止めて、振り返らないまま独り言の様に僕は呟いた。
「…―――ま、決心が固まるまでに君の理性が切れない事を祈る位なら、してやっても良いよ」
誰に祈るかなんて、知らないけれど。
「……有難う」
届いたらしい呟きの答えには、もう先刻の様な笑いは含まれていなかった。只、優しさだけがあって。
今度こそ僕は歩を進める。
あの様子ならきっと、そう遠くない未来に彼等の想いは通じ合う事だろう。そんな光景を目にするのも悪くない。
そんな風に考える自分のお人好し加減に、少し呆れさえ覚える節もあるのだけれど。
(でも、ま)
一陣の優しい風が吹いて、僕の頬を撫でた。
(そんなのも、良いかもね)
その時、僕の顔に淡い微笑が浮かんでいた事は――――多分、その一陣の風だけが、知る事。
終
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