073:巫女
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二年前。
この国の祝賀に参席した神田は、ほんの一瞬目が合った真っ白な少女に心奪われた。
自国に帰ってから調べれば、彼女がその国の巫女であるという事は容易に知る事が出来た。
ずっと神に捧げられたままならば、まだ諦められたのかもしれない。けれど遠からず他の男のものになるという現実は、神田を真っ直ぐに決断へと到らせた。
父王が崩御したのは事故という偶然の結果だったが、もし一年前に即位していなくとも神田はどうにかしてこの侵攻に漕ぎ着けただろう。
「諦めようとした事もありました。例え巫女でも、他国の王子に―――王に会う事は簡単じゃない。それでなくとも僕は後宮に入る事が決まってました。ただ巫女という猶予期間があるだけで、巫女になった瞬間に僕は王のものでした。……諦めようと思ったんです」
王都も、国も、巫女も興味はない。
「でも、駄目だった」
ただひたすらに神田が欲したのは、他でもない目の前の白い少女。
「あんな好色親父に好きにされるなんて冗談じゃない。貴方以外になんて触れられたくない」
恐らくこれが素なのだろう。いつの間にか口調が変わってしまっている事に、彼女は気付いているのだろうか。
止まってしまっていた手を動かし神田は巫女の頬に触れた。滑らかな感触を確かめる様に撫ぜれば、ぴくりと銀灰の瞳が細められる。
「国も民もどうでもいいんです。僕は貴方以外要らない。貴方が欲しい。あな…――ッ!」
どうにも堪えきれなくなり衝動のままに頬の手を後頭部へと滑らせると、神田はそのまま少女を引き寄せ噛み付く様に口付けた。
「ふ、っ……ん、んン…ッ――」
恐らく初めてであろう相手を気遣う余裕もなく、ただ求めるままに舌を差し入れ咥内を蹂躙する。耳に届く苦しげな声は、神田を煽る以外の役目を果たさなかった。
気が済むまで貪ってからゆっくりと唇を離せば、華奢な体はくたりと神田の腕の中に落ちてくる。抱き締めた肢体は見た目通り、やはり細い。
息が整うのを待ってから神田が乱れた髪を払いそっと顔を覗き込むと、巫女はゆっくりと伏せていた瞳を開いた。おずおずと伸ばした手で神田の胸元を掴み、切なさの入り混じった縋る様な瞳で神田を見上げる。
「……お願いします」
ふと、己の胸元を掴む華奢な手が微かに震えている事に神田は気が付いた。
それは恐らく、彼女が初めて見せた、歳相応の―――。
「地位も身分も、豪華な宝石も、綺麗な服も何も要らない。だから、ほんの少しで良いから、どうか」
―――ぼくに、あなたをください。
囁く様なその声に、神田は静かに目を細める。
その声に、瞳に、表情に、心に―――自分と同じ想いが宿っている事はもう疑いようがなかった。これだけ実直に態度を示されてなお疑いを持てる程、神田は凝り固まってはいない。
元より、心を得られない事を覚悟して行動を起こしたのだ。
他の男のものになる位なら、せめて体だけでも、と。
「…お前が、お前の全てを俺に寄越すなら」
けれど、心さえも得られるというのなら。
欲したその全てを得られるというのなら。
「俺も、俺の全てをお前にくれてやる」
宥める様に頬を撫ぜながら告げた神田の言葉を、巫女はすぐには理解出来ない様だった。呆けた様にぱちぱちと瞬いていた瞳がゆっくりと見開かれていくのを眺めながら、神田は薄っすらと微笑う。
「……え、あの、陛下、それって」
「神田」
「は」
「神田だ」
繰り返すと、巫女はややあって神田様、と小さく呟いた。神田がそれに敬称は止めろ、と駄目出しすると、彼女は困った様子でかくりと小首を傾げる。
ほんの少し、間を置いた後。
「……神田」
囁く様な声に、それでも神田は満足げに笑みを深めた。その微笑みに巫女が目を奪われている事には気付かぬまま、流れる白銀の髪に指を通しやんわりと梳く。
「多分二、三日中には停戦協定の場が設けられる。その後はすぐに帰国する事になるだろうからな。もし何かやり残したあるんならそれまでに言え」
「……停戦、するんですか?」
腕の中できょとんとした様子で問うてくる巫女に、神田はくつりと喉を鳴らした。
「その為にお前が来たんだろ」
「それはそうですけど……でも今回の申し入れ自体、本来なら一蹴されたっておかしくない位に遅かった訳ですし。それに、停戦を受け入れても神田にはメリットは無いでしょう?」
その通りだ。そして戦とは縁遠い筈の巫女ですら解る事が、この国の王には解らない。
「確かにメリットはねェな。だが理由なら二つ程ある」
「理由?」
小首を傾げた巫女に神田は頷いた。
「分相応って言葉がある。元々俺は王座ってものに興味がねェ。治めるものが増えればその分仕事も増える。そんなのは更々御免だ。ついでにこれだけ痛め付けときゃ、この国も暫くはちょっかい掛けてくる事はないだろうしな。それが理由の一つだ」
「………ええと、つまり神田は面倒臭がりなんですか?」
「よく言われる。特に宰相に」
「はぁ…。それでもう一つは?」
「もっと単純だ。お前を手に入れる為だけに始めた戦を、手に入れた後も続ける必要が一体何処にある?」
ぴた、と巫女の動きが止まる。
瞬きすらもしないその様子におい、と神田が声を掛けようとすれば、その前に巫女の頬がかぁっと一気に紅潮した。その変化に驚いた様子で幾度か瞬くと、神田はやがてにやりと楽しげに笑う。
―――どうやら、先程の神田の告白の意味を漸く理解したらしい。
「それで?」
「は、はいっ!?」
「どうなんだ」
「な…何がですか?」
「返事だ」
答えを求めながらも、神田は唇を寄せて巫女の額にキスを落とした。初めこそびくりと肩を震わせたものの、顔に幾つも口付けを降らせば彼女はやがてうっとりと瞳を細める。
「…僕の心は、二年前から貴方のものです。だからどうぞ、それ以外の全ても貴方のものにして下さい」
そっと、神田の頬に白い指が触れて。
「―――すき」
ぽつり。零れた囁きと共に唇に触れた感触に神田は満足げに口の端を上げた。次いで自らも唇を寄せ、触れるだけの口付けを何度も繰り返す。
一頻り触れ続けた唇の感触に満足すると、神田はそっと自分の頬に置かれたままの白い手を取った。その爪先に一つキスを落とし、再び己の頬に触れさせる。そうして更にその手を自分の手で包み込んだ。
「好きにしろ。全部、お前のもんだ」
きょとん、と銀灰の双眸が瞬いた。
しかしやがて告げられた意味を理解したのか、それはゆうるりと弧を描いていく。
「はいっ」
そうして、巫女は頷きながら嬉しそうに微笑った。
巫女という立場を放棄した少女は、幸せそうに微笑った。
―――それは、漸くの恋のはじまり。
- End -
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そんな訳で王国パラレルで敵国の王×巫女でした。
5KB位で済むかしら〜と思って書き始め、結果は13KB…(惨敗)こ、こんなに長いの書いたの久し振りかも(←基本、超短編体質)
ちょこちょこ突っ込んだ設定の説明が長ったらしいのが駄目だったんでしょうね。
要するにお互い一目惚れだった、とゆーだけのお話なんですが(身も蓋もない)……何故にこんなに長く?はて?(笑)
(2010-03-11初出)
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