031:染まる
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薬の副作用による眠りから引き戻したのは、馴染んだ温もりが髪を梳く感触だった。 「………かんだ」 ゆるりと瞼を開けば、目の前には不機嫌を貼り付けた秀麗な顔。ああ任務から帰ってきたのか、とアレンはぼんやりと思う。 髪を梳く指先の動きはその表情に反して酷く優しい。余りの心地好さにアレンが再び瞼を伏せれば、その動きを追う様に神田の声がぽつりと落ちた。 「受身取り損なって骨折ったってな。このノロモヤシ」 声は苛立っている。同時に寝るなと言わんばかりに前髪を引かれ、アレンは目を伏せたまま軽く眉を寄せた。痛み止めを飲んでいる所為でどうにも眠いのだ。 「…折ってません。ヒビが入っただけです」 「何処だ」 「肋骨二本」 答えた途端にチ、と舌打ちが耳に届き、更に増した不機嫌な雰囲気にアレンは怪訝に目を開く。 確かに任務から帰ってきたばかりの神田は苛立っている事が多いし、帰還した時にアレンが怪我をしているとその苛立ちは更に増大する。 しかし今回の怪我は、普段のアレンからすれば軽傷の部類―――婦長に自室療養を許された事が何よりの証拠―――だ。なのにこの様子は一体どうした事か。 「……神田、何かありました?」 「あ?」 「妙に苛々してるじゃないですか」 「溜まってるからな」 さらりと返ってきた答えにアレンはぱちくりと目を丸くする。その意味が解らぬ程子供ではない。 数秒の間を置いてじわじわとやって来るのは納得という感情だ。任務から帰ってきて久し振りに恋人に会えたというのに、その恋人は怪我をしていて触れ合えないとなれば、それは確かにアレンとて確実にフラストレーションが溜まる事だろう。 しかし流石に肋骨にヒビが入った状態で事に及ぶ訳にはいかない。それでもし悪化すれば洒落では済まされない。というか寧ろ婦長に殺される。 「……口で抜きましょうか?」 少し悩んだ末、アレンはぽそりと妥協案を提示した。今なら痛み止めも効いている事だし、体勢にさえ気を付ければそんなに負担も掛からないだろう。 しかし神田はそんなアレンの妥協案に形の良い眉を吊り上げると、酷く不満げな表情でべしっとアレンの頭を叩く。 「あたっ」 「自分だけ満足したい訳じゃねェんだよ、この馬鹿」 「…………」 ふん、とそっぽ向かれながらの言葉にアレンは思わず沈黙した。 ―――何だか、物凄く恥ずかしくて嬉しい事を言われてしまった様な。 「……時々、恐ろしい位に天然タラシになるんだからなぁ……」 「あぁ?」 「何でもないです。えーっと、じゃあ…素股でヤります?」 誤魔化す様にもう一つの妥協案を告げれば、そっぽ向いていた美麗な顔がアレンへと向けられる。お、その気になったかな、とアレンがじっとその様子を窺っていると、かくりと小首を傾げる仕草を追う様に漆黒の髪がさらりと揺れた。 「スマタって何だ?」 …………しまった其処からだった。 思わず一瞬遠い目をしてしまったアレンだったが、興味に光る目の前の瞳に気を取り直すと、小さく微笑ってゆっくりと両手を伸ばす。意図を察して覆い被さってくる神田の首に腕を回し、頭を引き寄せ額に唇を寄せた。 アレンの腕の中のこの漆黒の青年は、その見た目と性格に反して中身は酷くまっさらだ。アレン自身も大概まともな環境で育っていないが、一体何をどうすればこんな面白い位に知識の偏りまくった純粋培養が育つのか。どうしてもそう思わずにはいられない。 最初の頃こそ戸惑いや躊躇が勝っていたが、実は最近神田の中の無垢な部分を自分色に染め上げていく過程に少々快感を覚えつつあるアレンだったりする。自分を耳年増にしてくれた師に対し、感謝するか恨むべきかは難しいところだ。 (倒錯的っていうのかな……こういうの) まだ十五歳なのにこんなの覚えてどうするんだろ、と半ば冗談の様に胸の内で呟きつつ、アレンは間近にある漆黒の瞳を覗き込んだ。欲と興味に揺れる色に再度微笑い掛ける。 「教えてあげますから、ゆっくりでお願いしますね」 ―――婦長の雷が落ちるのは御免です。 アレンがぽそりと続ければ、神田は我に返った様子で瞬きながら神妙に頷いた。婦長に関しては完全に意見の一致を見る二人である。 「……ん…」 ゆっくりと重なる互いの唇。ちゅ、と柔らかな感触に啄ばまれながら、薬による眠気がいつの間にやら飛んでいる事にアレンはふと気付いた。どうやら神田に引きずられて興奮し始めているらしい、と内心で笑う。 (あ) 耳に届く濡れた音。 じわりと伝わる体温。 駆け始める鼓動。 (僕の) くらりと回るのは、自分の意識か、それとも世界か。 (中、に) 教えてあげる。 だから、さぁ。 「カ、ンダ―――」 染まるのはキミのココロ? 染まるのはボクのカラダ? 染まるのはキミのカラダ? 染まるのはボクのココロ? いいや、きっと全てだ。 - End - |
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当初の予定からは大幅にズレて何だか妖し〜い感じになってしまいました(爆) これでも神アレなんだい!と取り敢えず主張しとこう…。 (2010-05-19初出) |