033:残酷な言葉
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バンッ! と勢い良くドアを開いた先に居た神田は、酷く驚いた顔をしていた。 荒く呼吸を繰り返しながら、アレンはノックをし忘れた事に今更ながらに思い至る。普段ならば絶対にしない様な失態だ。 けれど今はそれどころではない。目的を達すべくアレンはドアを閉めてから歩を進めようとして、しかし不意にがくんとその膝が砕けた。随分と酷使し続けた為、いい加減体の方は限界だったのだろう。 あ、こける。他人事の様に思考の端でそう思ったアレンは、けれどもその予想に反して転倒する事はなかった。素早く距離を詰めた神田が、その腕を掴んでアレンの体を支えたからだ。 「あ…と、……有難う、ござい、ます」 「何やってんだお前」 「あはは…」 ほっと安堵しつつ礼を述べれば呆れた様に返され、アレンは苦笑と共に頬を掻く。 「で?」 「はい?」 「帰還はまだ二、三日先って聞いてたぞ。何で居るんだ」 「ああ…はい。ちょっと根性で終わらせてきたんです。人間やれば出来るもんですね」 「は?」 怪訝に眉を寄せる神田に、近くに来てくれたなら丁度良い、とアレンは手を伸ばした。伸び上がるのはちょっと辛かったので、代わりに胸倉を掴んで神田を引き寄せる。 そっと、唇を重ねて。 「誕生日おめでとうございます、神田」 微笑みながら告げれば、漆黒の瞳がきょとんと瞬いた。 その反応に苦笑しつつ、そろそろ立っているのも辛くなってきたアレンは腕を掴まれたままずるずるとその場にへたり込む。はぁ、と深く吐息を零しながら懐から懐中時計を取り出すと、針が示す時間は日付の変わる三分前。 「間に合ったぁ…」 ぽつりと零してアレンが脱力していると、ややあって神田もその場にしゃがみ込んだ。節張った指先が汗で湿った白髪をゆっくりと梳いていく。 「そんな事言う為に急いで帰ってきたのかよ。電話で済ませりゃ良かっただろ」 「恋心ってものを酌んで下さいよ…。直接会って言いたかったんです」 呆れを含んだ声に脱力したままアレンが返せば、すぐ傍で嘆息する気配。 「コムイに報告は」 「簡単に列車の中で電話で…。ちゃんとしたのは明日って事で、了承は貰ってます」 「医療班にも行ってねェだろ。擦り傷だらけじゃねェか」 「それも明日って事で……婦長にはコムイさんが誤魔化してくれるそうです」 会話を交わしながら、アレンは何だろう、と内心首を傾げていた。別に大げさに喜んで貰いたかった訳ではないし、期待をしていた訳でもなかったが―――些か、反応が薄過ぎる様な。 と、アレンが顔を上げて様子を窺おうとするが早いか、不意に神田が腰に手を回してひょいとアレンを抱き上げた。ぱちくりと目を丸くするアレンを余所に、神田はそのまますたすたと歩いてベッドの端に腰を下ろす。その膝を跨ぎ向かい合う様にして座らされた後、アレンは目の前の表情に困った様に小首を傾げた。 「……祝われるのは嫌でした?」 「あ?」 「難しい顔してる」 ちょん、と眉間の皺を指で突付かれる感触に、神田は目を細める。 「……別に」 「うん?」 「どうでもいいってだけの話だ。俺の誕生日なんて意味のないもんだからな」 この時、俺の、という言葉が付いたその意味に、思考も疲労気味だったアレンは気付く事が出来なかった。 それでも、それは哀しいと思ったから。 ―――そんな風に思わないで欲しかった、から。 「……神田、蕎麦好きですよね」 「…あ?」 そっと両頬を包み込んでアレンが告げれば、神田は怪訝そうに眉間の皺を深める。 「日本茶も好きでしょう。特にほうじ茶」 日本茶の種類はよく判らないが、神田が緑色をしたお茶より茶色のほうじ茶を好んでいる事をアレンは知っている。少し紅茶に似た感のあるほうじ茶はアレンも結構好きだ。以前砂糖とミルクを入れて飲もうとしてみたところ、即座に殴られて怒られたが。 「僕はね、食事する事自体好きですけど、特にジェリーさんの作ってくれるご飯を食べるのが一番好きなんです。食べてると生きてて良かったーっていつも思います」 「……で?」 どうやら意図が解らないままながらも会話に付き合う事にしたらしい。続きを促してくる神田にアレンはふわりと微笑む。 「つまり何かを好きって思う事は、生きてて良かったって思う事と一緒だと思うんですよね」 言いながら、アレンは目の前で寄ったままの眉間の皺にちゅ、と口付けた。宥める様に顔に幾度も唇を寄せ、親指の腹で頬を撫ぜる。 「で、生きてて良かったって思う事は、生まれて良かったって思う事と同じだと思いません?」 「…こじつけ過ぎてねェか、それ」 「うーん、否定はしませんけど」 苦笑気味に答えてアレンは漆黒の瞳を覗き込んだ。 どんな時でも真っ直ぐに向けられる双眸に、アレンは思わずといった様子で顔を綻ばせる。 「神田。蕎麦、好きでしょう?」 「…………」 「ほうじ茶も好きでしょう?」 「…………」 「僕の事も、好きでしょう?」 神田の肩がぴくりと微かに揺れた。その反応には気付かぬまま腕を回し、アレンは神田の頭をぎゅっと抱き込む。 「僕も、神田が大好きですよ」 生きてて良かった。 生まれて良かった。 ―――出会う事が、出来たのだから。 そんな想いを込めた言葉をどう受け取ったのか、神田はややあってそろりとアレンの胸に顔を埋めた。そんな仕草が愛しくて堪らないとばかりにアレンは頬を緩める。 「……――って」 「…はい?」 「…良かったって思うばかりじゃねェだろ、生きてりゃ」 胸元から聞こえる何処か駄々を捏ねる様な声色に、アレンはくす、と小さく苦笑した。 「そりゃあ当たり前ですよ。生きてれば苦しい事は沢山あります」 寧ろ、エクソシストとして生きる自分達はそちらの方が多いだろう。抱える哀しみと苦しみの大きさからすれば、幸せなんてきっとほんの一握りだ。生まれてこなければ良かった、と。アレンだってそんな風に考えた事がないとは言わない。 「それでも僕は、自分が―――神田がこの世界に生まれた事を、嬉しく思いますよ」 長い髪を梳きながらアレンがそう告げれば、神田は今度こそ口を噤んで沈黙してしまった。 表情が窺えないので何を考えているかは察し様がない。同じ様に黙り込んだままどうしようかと内心悩んでいたアレンは、しかし不意に左腕を掴まれ、その次の瞬間には背中を襲った柔らかい感触にぱちりと目を瞬かせる。 神田が覆い被さってきた事で、アレンは漸く自分がベッドに押し倒された事に気が付いた。 「神田?」 「…祝うなら、プレゼントも寄越せよ」 つ、と節張った指に頬を撫ぜられながらの言葉にアレンはきょとんとする。 「プレゼント、ですか? すみません、流石に買い物する余裕はなかったんですよ。だか、……ッ」 言葉途中で唐突に唇を塞がれ、アレンは驚いた様に忙しなく瞬いた。しかし程無くしてその行動の意味に気付き、ゆるりと瞳を伏せて身を任せる。 暫し濡れた音を響かせ離れた唇に、は、と熱の篭った吐息を零して。 「……神田、お風呂………というか、せめてシャワー…」 「後で入れてやる」 結構な時間全力で走ってきた所為で服の中は汗だくだし、戦闘後すぐに列車に飛び乗ったので土埃まみれでもあるのだが、懇願を一蹴されれば一つ嘆息してアレンは潔く諦めた。元より神田が望むなら異を唱えるつもりはアレンにはない。 「神田」 けれどもう一つこれだけは、とアレンは首筋に顔を埋める神田の頬に触れて顔を上げさせる。 目に入ったものには気付かぬ振りをして。 瞳を、真っ直ぐに覗き込んで。 「生まれてきてくれて有難う」 アレンが微笑んで告げれば、神田は応える様にこつりと額を合わせてきた。―――きっと、自分が今どんな顔をしているかなんて気付いてもいないのだろう。 酷い事をしている、とアレンは漠然と思う。 そんな顔をさせたい訳ではない。けれどそれでも、生まれてきてくれて嬉しい、生きて自分と出会ってくれて嬉しい―――そう思うのは本当に本当だから。 「有難う、神田」 いつか自分と同じ想いを抱ける様になればいい。そんな願いを込めてアレンは感謝を繰り返す。 整った顔に浮かぶその泣き笑いが、どうしようもなく愛しかった。 - End - |
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神田さんの誕生日が水槽(?)から出た日なのか、体が生まれた(造られた?)日なのか、本体の脳を移植された日なのか、本体の誕生日をそのまま持ってきたのか、それとも適当に決めた日なのかで神田さんの反応も変わってくると思うんですけどねー。 ていうか本当にどれなんだ! 取り敢えずはちょっと弱々しいバージョンで。 まだ何も知らないアレン様と、嬉しいのと苦しいのでごっちゃになっちゃってる神田さんでした。 (2010-06-06初出) |