【邂逅】





『それから、もう一つ』

慣れた筈の定期報告を、あんなにしなければ良かった、と思ったのは初めてだった。

『……アレンくんが』


その時の感情を言い表すならば、それはまるで今まであった足場があっさりと崩れていく、様な。





「ようこそいらっしゃいました、ティエドール元帥」
元帥が訪れる、という滅多に無い状況に俄かに浮き足立っているアジア支部内で、内心やれやれと嘆息しつつ、支部長であるバクはそれでも外面だけはにこやかにティエドールに向けて挨拶した。
「いやいや、此方こそお世話になるね」
それに暢気に応えるティエドールの後ろには、壮年の大柄な男性が一人と、長い漆黒の髪を高い位置で一つに纏めた青年が一人。身に付けた団服から一目でエクソシストと判る二人は、特に会話に口を挟む事も無くティエドールから数歩離れた所で佇んでいる。
「ご希望のものはすぐに揃えますので、用意が出来るまでどうぞお寛ぎ下さい。此方に…」
と、案内しようとバクが踵を返し掛けた瞬間、ずん、とその場に振動が走った。
どうやら離れた場所からの衝撃らしいそれに反応し、即座に身構えたエクソシスト二人に、バクは慌てて大丈夫だ、と手を振る。
「誤解させてすまない。これはうちの番人とエクソシストが戦闘中なだけなんだ」
「エクソシスト?」
首を傾げて問い掛けてくるティエドールに、バクはええ、と頷いて。
「寄生型のエクソシストなんですが、先日ノアにイノセンスを破壊されたものの、そのイノセンスが消滅せず存在し続けるという事例が発生しまして。現在対アクマ武器としての形を取り戻す為、奮闘している最中なんですよ。ご存知ですか?」
アレン・ウォーカーという少年なんですが。
そう、その名がバクの口から紡がれた瞬間、黒髪の青年の瞳が大きく見開かれた。
「…神田? どうした」
傍に居た為か青年―――神田のそんな反応にいち早く気が付いた壮年の男が、不思議そうに彼を見下ろす。しかしその問い掛けに答えが返る事は無く、常に無いその様子にティエドール達も怪訝に視線を向けた頃になって漸く、神田はぽつりと口を開いた。
「……何処だ」
「え?」
「あいつは、何処に居る」
「あ、あいつって…ウォーカーの事か? 彼ならこの回廊の一番奥の封印の扉の前に…」
低い声に思わず逃げ腰になりつつ答えるバクの言葉が終わるのを待つ事無く、神田はつかつかと足早に歩み始める。
あっという間に回廊の向こうへと消えていった背中に、後に残された三人は呆気に取られた様に顔を見合わせた。





「い、たた…」
「オラ! さっさと立てウォーカー!」
「判ってますよ…」
先程強かに打ち付けてしまった後頭部を包帯を巻いた右手で擦りつつ、フォーの怒声に促される様にしてアレンはよろりと立ち上がった。その顔には疲労が色濃く、繰り返す息も荒い。
しかし依然しっかりと見据えてくる銀灰色の双眸に、フォーはにやりと笑って踏み込もうと右足に力を込める。
が、動き出そうとする前に聞こえてきた硬質的な靴音に、フォーの怪訝とした視線がちらりと回廊の先へと向けられた。その視線につられる様にアレンが後ろを振り返る。
刹那、アレンの視界を過ぎったのは、何処までも深い漆黒だった。
「…―――ッッ!!」
次の瞬間、アレンの体が床に吹っ飛ぶ。
アレンに歩み寄り様、その右手でアレンの頬を殴り飛ばした闖入者の唐突な行動に、傍で一部始終を目撃していたフォーはぎょっと目を剥いた。それとほぼ同じくして、闖入者を追い掛けてきていたらしいバクが、慌てて彼を後ろから羽交い絞めにして拘束する。
「な、何をしているんだ神田! 彼は怪我人なんだぞ!」
と、バクの口から放たれた名に、床に倒れ込んだままのアレンがぴくりと反応した。
細身の体がよろりと起き上がり、銀灰色の双眸が神田の姿を捉える。唖然とした表情を浮かべ、アレンはぽつりと口を開いた。
「……―――神、田…?」
掠れた少年の声に、神田の瞳がく、と細められる。
射殺す様な視線をアレンに向けたままバクの拘束を振り払うと、神田はつかつかとアレンに歩み寄りその胸倉を掴んだ。ぐいと力任せにアレンを引き起こし、間近にある銀灰色の瞳を冷ややかに見下ろす。
「良いザマだな、モヤシ」
感情の篭らない揶揄する声に、アレンは息を飲んだ。
思わず残された右手を神田に伸ばそうとして。しかしその動きは、二人を引き離そうと割り込んできたバクによって遮られる。
「神田、止めないか! だからウォーカーは怪我人だと…」
「バクさん、構いません」
「ウォーカー?」
怪訝に視線を向けてくるバクに向けて、アレンは胸倉を掴まれた状態のまま微苦笑を浮かべた。
「大丈夫です。すみませんが、暫く二人にして貰えませんか?」
「だ、だが…」
「大丈夫ですから」
躊躇するバクに念を押す様に繰り返し、アレンはお願いします、とぎこちない動作で頭を下げる。
暫し逡巡していたものの、やがて判った、と頷いたバクがフォーを伴って去っていくのを見届けた後、改めてアレンは神田に向き直った。
「……神田」
ぽつり、呟いた名が静寂に溶ける。
微動だにしない神田に焦れた様に目を細め、アレンは包帯の巻かれた右手を伸ばした。
しかし、その右手は神田に届く事無く宙を切る。
「カン―――」
声が、途切れた。
体に回された腕。
抱擁と呼ぶには強過ぎる力。
抱き締めるというよりは―――まるで、縋り付かれている、様な。
「…神田」
じわりと伝わってくる温もり。
耳の傍で聞こえる呼吸音。
胸の辺りから響いてくる、いきている、おと。
「神田」
それは、焦がれていたもの。
求めていたもの。
狂おしい程に望んでいたもの。
「神田」
ああ、だれよりもいとしいひとが、ここにいる――――。
「………この、大馬鹿野郎が…!」
傍で聞こえた慟哭の様な呟きに、目許が熱くなる心地がしてアレンは唇を噛み締める。
ごめんなさい、と。
片手で団服の背中を握り締めながら、掠れた声で漸く呟いた。





「…僕の事、コムイさんに聞いたんですか?」
「……ああ」
いつの間にやら床に座り込んでいた神田の足の間に腰を下ろした状態で、アレンは神田の胸に頭を預けていた。抱き締めてくる腕に心地好さを感じつつ、傍に流れている黒髪を右手で弄ぶ。
「何て?」
「…生死不明」
ぽつりと返された答えにアレンは困った様に微苦笑を浮かべた。
期待も出来ず、絶望も出来ず。
それは多分一番、もたらされるには辛い情報だ。
「神田は、今はティエドール元帥の護衛中なんですよね?」
「ああ」
「これから何処に?」
「さぁな。状況にもよるが―――多分、日本に入国する事になるんじゃねェか」
「あれ、偶然ですね。実は僕の師匠も今、日本に居るらしいんです」
リナリー達は既に向かいましたから、もしかしたら向こうで会うかもしれませんね。
そう言って微笑うアレンに、神田はぴくりと片眉を上げる。
不意に伸びてきた手に顎を掬われ、覗き込んでくる漆黒の双眸に、アレンはぱちくりと目を瞬かせた。
「神田?」
「お前は」
「はい?」
「お前は、どうなんだよ」
少しの間きょとんとするも、神田の言いたい事をすぐに察したアレンは、くすりと微笑って膝立ちになる。そのまま右腕で神田の頭を抱き込み、艶やかな漆黒の髪に頬を擦り寄せた。
「勿論、さっさと左腕を取り戻して追い掛けますよ」
するりと首に腕を回し、アレンは神田の顔を覗き込む。
「だから待ってて下さいね、神田」
挑む様ににっこりと微笑い掛けるアレンに、しかし神田ははっ、と口の端を上げて笑った。
「誰が待つかよ」
予想外の答えにアレンがぱちくりと目を丸くする。
そんなアレンの様子に更に可笑しげに笑い、神田は白髪に手を伸ばして少年の頭を引き寄せた。
「俺は待ってなんてやらねェ。だからテメェが全力で追い掛けてこい、馬鹿モヤシ」
くん、と更に引き寄せられ、重なる唇にアレンは反射的に目を伏せる。
久方振りの口付けを深く味わい、堪能し。漸く離れた唇に弧を描かせ、アレンは艶やかに微笑って。
「望む所ですよ」
それから、モヤシじゃなくてアレンです。
そう、もうお馴染みになってしまった台詞を吐きつつ、アレンは再びキスを交わすべく神田に顔を寄せたのだった。





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感想の時に書いてた、『もしティエドール元帥一向がアジア支部に寄っていたら』の妄想の結果です。こんな感じになりました(笑)
神田意外と難しい。何処が難しいって、台詞の何処に片仮名を使えば良いのかいまいち判らない!(笑)単行本と睨み合いっこしつつ頑張りました。てへ。

以下オマケ↓


神「……何かお前、口ン中鉄臭ェぞ」
ア「え? ああ、先刻キミに殴られた時に切りまして」
神「…………」
ア「別に謝らなくて良いですよ? 殴られて当然な事しましたしね」
神「…じゃあ」
ア「はい?」
神「謝る代わりに、好きなだけ消毒してやるよ(にやり)」
ア「……神田って、偶に親父入りますよね…(照)」
神「何か言ったかよ」
ア「いいえ何も?」



更にオマケ↓


テ「あ、あの子が…誰にも中々心を開かなかったあの子が…!(滂沱)」
マ「…………」
バ「しかしあの二人がこういう関係だったとは…。意外だ」
フ「ていうかいつまで二人きりにしてりゃあ良いんだよ! あたしが帰れねぇじゃねぇか!(怒)」

―――二人きりにはして貰えたものの、ばっちり監視ゴーレムを通して一部始終を見られちゃってる二人でした(笑)



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