唖然と現実を見つめる、翠蒼の瞳と漆黒の瞳。
片方は只々沈黙し、片方は肩を震わせ目の前のそれに釘付けになり。
そして。
「…っ、ぎゃ――――ッッ!!!?」
魔術師の塔に、カインの叫び声が木霊した。




















ルックという人物は有り体に言えば書痴である。
そしてそのルックの、同盟軍の本拠地の自室に半ば居候状態のトランの英雄と呼ばれるカイン=マクドールもまた、彼程とは言わないまでも結構な書痴だった。
一つの部屋に二人の書痴。かつ、片方にはどれだけの遠方でどれだけの書物を購入しても、一瞬でそれらを自室に持ち帰れる技能が備わっており、もう片方にはその購入を増長させて尚余りある金銭が懐に仕舞われていたりする訳で。
以上の理由により、ルックの部屋が埋もれてしまう前に本を魔術師の塔の図書室に運び込むのは、二人の定期的な作業の一つであった。
「…………」
「ルック」
「…………」
「終わったぞ」
「…………」
「…………」
「…………」
「……オイコラ」
ぼす、と頭を掴まれ、ルックははっと我に返る。
そんなこんなで魔術師の塔の図書室。膨大な書物が眠る其処で、二人はかれこれ一刻程、持ち込んだ本の山を分類別に本棚に収める作業に没頭していた。―――実はルックは途中から読書に逃走しており、実質没頭していたのはカインのみだったが。
そろりとルックが顔を上げれば、視線の先には僅かに呆れた様なカインの表情。先程まで読んでいた手元の本に視線を落とし、再びカインを見遣るとルックはこくりと小首を傾げる。
「…このシリーズ、持って帰っちゃ」
「駄目」
この前サウスウインドゥで買った十冊がまだ未読です。
問い切る前に答えを返され、ルックはむう、と唇を尖らせた。その反応にくつくつと笑うカインからぷいと顔を逸らし、立ち上がって背凭れにしていた背後の本棚に書物を戻す。と、ふと周囲をきょときょとと見回して。
「……持って来た本」
「だから仕舞い終わったっての」
ほぼ全て俺が、と続けられて、ばつが悪そうにルックは肩を竦めた。御免、とぽつりと零れる謝罪にカインが小さく微笑い、ぽんぽんと薄茶の頭を軽く叩く。白い手を取り、そのまま二人で歩き始めつつ懐から懐中時計を取り出した。
「今から戻ったら……丁度夕飯の時間だな。レックナートに挨拶だけして帰るか」
時計を見ながらの台詞にルックが頷く。
広い図書室を後にし、数階上のレックナートの自室に向かって。辿り着いた部屋の前で立ち止まると、目の前のその大きな扉をルックが数回叩いた。が、暫く待っても応えが無い事に二人は顔を見合わせて首を傾げ、ルックがそろりと扉を開いて室内を覗き込む。
「……あれ」
「どうした?」
「何処かに出掛けてらっしゃるみたい」
きぃ、と開かれた扉からカインが室内を覗き込んだ。確かに誰も居ない其処を見回しながら、二人は部屋の中へと足を踏み入れる。
「他の部屋に居るとか」
「今頃の時間は大抵この部屋だよ。それに此処じゃ僕はレックナート様の気配は掴めないから、島の何処かに居らっしゃるなら部屋を訪ねたら大体すぐに戻ってきて下さるし」
「気配掴めないって……何で」
「この島全体にレックナート様の魔力が満ちてるからね。探ろうとしても魔力に気配が混じっちゃってさっぱり」
「成程」
雑談を交わしながら歩を進め、ふと目に入った机にルックが眉を寄せた。
机の上にあるのは――――白い布の上に置かれた、掌に乗る位の透明な水晶球。
(こういう類の物は其処ら辺に放っとかないで、ちゃんと宝物庫に仕舞ってくれっていつも言ってるのに…)
仕方無い、と溜息を吐き、小振りな球をそっと手に取る。透明な水晶を室内の明かりに晒し、別段大した魔力も感じないそれに首を傾げながらもカインへ振り向いた。
「カイン、帰る前にちょっと…」
宝物庫へ、と続ける筈だったルックの言葉が不意に途切れる。視線の先、怪訝に自分を凝視するカインにルックは小首を傾げて。
「……カイン?」
「…それ」
光ってるぞ。
端的に告げられ、何の事かと再び首を傾げそうになるも、ゆるりと膨らみ始める魔力にルックははっと手元に視線を落とした。淡く発光する水晶球に細い肩がぎくりと揺れる。
と、次の瞬間、唐突にパァッと光が弾けて。
「―――ッ!!」
「ルック!」
反射的に目を閉じたルックが判ったのは、腕を掴んだカインの手の温もりだけだった。
次いで耳に届くのはごろごろと何かが転がる音。瞼の裏から光の残像が消えた頃にそろそろと目を開けば、すぐ近くに床の木目があって。自分が膝を突いている事に改めて気付く。
ひとまず視界には何の変化も無い事にほっと息を吐いて。
「先刻の、な…」
ぴたりと声が止まった。
何、今の。
自分の発した自分のものではない、自分より低い声にさーっと青褪め、ルックはおずおずと顔を上げる。
そして凍り付いた。
「……っ…」
目の前に居るのは、自分がよく知った顔。
何故此処に。どうして。どうやって。そんな疑問がルックの思考に浮かんでは消える。
と、そろり。呆然とした表情の相手がそっと頬に触れてきて、ルックはびくりと肩を震わせた。その反応に怪訝に眉を寄せ、ルックの目の前に居る人物は、暫しの沈黙の後恐る恐ると口を開く。
「……………ルック…?」
すとん、とルックの肩の力が抜けた。
――――違う。
怪訝の中に含まれた、優しさと、柔らかさと。
自分をこんな風に呼ぶのは、たった一人だけで。
「…………カイ、ン?」
まさか、と思いつつルックが声に出した名前に、相手が僅かに目を見開く。
と、はっと同時に思い至り、二人は慌てて立ち上がって壁に掛けられた姿見に駆け寄った。大きな鏡にばん! と手を突き大きな鏡を覗き込んで。
「……ッ…」
ルックの目の前に映っているのは、肩を震わせて青褪めるカインの姿。
カインの目の前に映っているのは、呆然とした表情のルックの姿。
目の前の信じがたい状況に、二人は暫し唖然と鏡を食い入る様に見つめて。
「…っ、ぎゃ――――ッッ!!!?」
……そうして、冒頭に至る。










「あら、まあ」
約半刻後。
塔の自室にふわりと転移で戻ってきたレックナートは、目の前の状況に小さくそう零した。
外見はルックであるカインの腕の中で半泣きになっていた、外見はカインであるルックは、聞こえてきた声にばっと顔を上げると慌てて彼女に駆け寄る。
「レ、レレレックナート様っ!!」
「あらあら」
涙目で駆け寄ってくるカインの姿に、珍しいものが見れたとレックナートは内心ほくそ笑んだ。が、そんな思考はおくびにも出さず、目の前であわあわと狼狽える少年の黒髪をそっと撫でる。
「落ち着きなさい、ルック」
その口から出た名に、机の端に腰掛け二人の様子を眺めていたカインが、驚いた風にその翠蒼の瞳を見開いて。
「判るのか?」
「ええ。目が見える者には判りにくいでしょうが」
それに私に涙目で駆け寄る貴方というのも、まず想像出来ませんし。
続けられた言葉に、カインは成程、とこっくりと頷いた。
「中身が入れ替わってしまったのですね。原因は…」
「これだ」
ひゅっとカインに投げ渡された物を受け取り、レックナートは僅かに眉を寄せる。彼女の様子を横から切実な表情で見つめていたルックが、おずおずとその顔を覗き込んだ。
「レックナート様…」
不安げな声色にふと顔を上げ、レックナートはふわりと柔らかい微笑を浮かべる。
「大丈夫ですよ、ルック。お茶を用意してくれますか? 説明はそれからにしましょう」
「で、でも…」
「まずは落ち着くのが先ですよ」
促す様に髪を撫ぜられ、ルックは諦めた様に小さく頷いた。
とぼとぼと部屋を後にするその姿を見送り、カインはそろりとレックナートに視線を向ける。
「……なぁ」
「何ですか?」
「何か物凄ーく楽しそうに見えるんだが、俺の気の所為か?」
「気の所為でしょう」
きっぱり。
言い切った彼女の顔には、にっこりと満面の笑みが浮かんでいた。




















そして翌朝。
「………現実って残酷過ぎる………」
起き抜けに視界に入った着替える自分の姿に、目が覚めたら元に戻ってたりしないだろうか、と昨晩仄かに期待していたりしたルックは、思わず頭を抱えて呪詛の様に呟いた。
「何を今更」
複雑な法衣を軽い手付きで着込んでいくカインが肩を竦める。
昨晩の、茶を飲み、更に夕食まで食べながらのレックナートの言葉は、一言に纏めてしまえば『戻す方法は今の所全く判らない』だった。
水晶球はつい先日入手し、どんな効用を持つ物なのか今まさに調べている最中の代物で。
そんなに魔力が強い術道具でもないから、恐らく数日で元に戻る方法は見つけられる。ひとまずそれまでは同盟軍の方に戻っていてはどうか、とのレックナートの言葉にあれよあれよと促され、二人は本拠地に戻ってきたのだが―――。
「……どうしよう」
もしかしてあのまま塔に居た方が色んな意味で良かったんじゃないだろうか。
一晩眠って多少は混乱も引いた頭で考え、ルックは枕を抱えてうう、と唸る。そんなルックの横に腰掛け、本来は自分のものである漆黒の髪を撫ぜながら、カインは微苦笑を浮かべて小首を傾げた。
「今更色々考えたってどうしようもねぇよ。取り敢えず、朝飯。持って来てやるから食え」
「うん……って、え?」
ぱ、と目を瞬かせながらルックが顔を上げて。
「何で? 別に持って来て貰わなくても、自分で食堂行く…」
「お前、俺の演技出来るか?」
同盟軍の人間―――特に軍主に事が発覚すれば玩具にされる事は必至。そんな事は二人共真っ平御免なので、外に行くならば互いの振りをする必要がある。
だが。
「絶対無理」
「だろ」
一瞬の間の後言い切ったルックに、カインが同意の頷きを返した。ぽん、と漆黒の頭を軽く叩く。
「それに目の説明も出来ねぇしな。部屋で大人しくしてるのが一番だ」
「目?」
きょとんと見上げてくるルックに、一つ瞬いた後合点がいった様にあぁ、と漏らし、カインは手を伸ばしてサイドボードの引き戸を開けた。中から小さな鏡を取り出してルックに手渡す。
「気付いてなかったか」
促されるままに鏡を覗き込み。暫し首を傾げていたものの、やがてカインが何の事を言っているのかに気付き――――ルックはゆっくりと目を見開いた。
鏡に映っていたのは普段目にする紅では無く。
其処に在ったのは、漆黒。
ルックも一度しか目にした事の無い、ソウルイーターに侵される以前の、彩。
唖然とルックが顔を上げると、カインは微苦笑を浮かべてルックの頬を撫ぜる。
「多分中身が入れ替わった所為なんだろうけど、な」
中身が違う故に主と認めず、けれどその体から離れようとしないのは、この今が特殊な状態下だと紋章が理解しているからなのか。
カインでこの状況ならば、自分はどうなっているんだろう。思わず過ぎった不安にルックは無意識に自分の胸元を握り締めた。
「……カイン」
呼び掛ける声をどう判断したのか、カインはふ、と目許を緩める。そして。
「…―――ちょっとだけ、懐かしい」
小さく零れた言葉に胸に過ぎった不安も忘れ、ルックは衝動的にカインを引き寄せ抱き締めていた。
直後、二人はきょとんと目を瞬かせる。片や自分の腕の中に収まってしまう相手故に。片や相手の腕の中に収まってしまう自分の体故に。
暫しの沈黙の後、やがてカインがぷ、と噴き出し、すぐ傍の頬に口付け腕から抜け出て立ち上がった。
「飯持ってくる」
返事を返す間も無く扉の向こうへ消えてしまった相手に、ルックは僅かに目許を染めて、先程唇が触れた頬を撫でて一つ息を吐く。
傍に在るのは自分の姿で。
けれどその顔に浮かぶのは、愛しい人がいつも見せる微笑みで。
その声が、体温が、香りが。
確かに自分であり、それでも自分ではなく――――…。
「……何か、変な感じ」
ぽつりと呟き、ルックはそっと再び鏡を覗き込んだ。其処に映るのはやはり漆黒。二度と見る事は叶わない筈だった、ともすれば紅の時よりも印象的な瞳に、口許に自然笑みが浮かぶ。
ちょっとだけ、入れ替わって良かったかも。
そんな現金な事を考え、ルックは苦笑する様に肩を竦めた。









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カイン様の目の設定なんて、覚えてらっしゃらない方が殆どだと思いますが…(笑)


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