「本当ーにすまん!」
同盟軍本拠地のホールに置かれた瞬きの手鏡前。
ビッキーが常に陣取っているその場所で、フリックは己が纏う青以上に真っ青に青褪めながら、土下座でもしそうな勢いで目の前の少年に謝り倒していた。
フリックの謝罪を受け、カイン=マクドール―――トランの英雄と謳われる少年は不機嫌そうに眉を寄せる。その姿は頭から被ったかの様に赤黒い液体に塗れ、更にはその液体が目に入りでもしたのか、先程からずっと瞼を閉じっ放しだった。
カインは濡れて頬に張り付く髪を掻き上げ、ぽつりと呟く。
「…目ぇ、痛ぇ。べとべとするし、変な匂いもするし」
「す、すまん…」
「何でそう、お前は自分の不幸に人を巻き込むのが得意かな」
本当に巻き込まれたとしか言い様が無かった。
同盟軍盟主に伴われての、遠征途中での魔物との戦闘中。魔物に斬り掛かろうとしたフリックは、余りにも間抜け過ぎる事に、何と地面に転がる石に躓き転倒したのである。
それによって一番被害を被ったのは、丁度フリックの傍に居たカインだった。彼は転倒したフリックに縋られる形で同じ様に地面に倒れ込み、更に転ぶ際にフリックが咄嗟に手放した剣が偶然切り裂いた魔物の血を、頭から思い切り被ってしまったのである。因みにフリックは倒れた位置が良かったのか、幸い―――否、もしかするとそれこそが一番の不幸だったのかもしれないが―――にも全く血を被らずに済んでいた。
その後、手持ちの水も多くなく、近くに血を流せる様な水場も無かった為、瞬きの手鏡を使い全員で本拠地へと戻り。他のメンバーは血を洗い流す為の水を調達すべくその場を後にして。
そんな訳で、今に至るのである。
「俺が悪かった…!」
冷や汗を掻きながら再三謝るフリックの声色に、カインは少し気が晴れたのかふん、と鼻を鳴らす。と、その時フリックにとっては天の助けとも言える声が、少し離れた場所から聞こえてきた。
「その位にしておいてあげたら?」
清涼な風を思わせる少し高めの声にぴくりと反応し、カインが振り向く。
「ルック」
「お帰り。どうしたの、その格好」
凄いね、と苦笑しつつ、本と書類を抱えたルックがゆっくりとカインに歩み寄って。そんなルックに説明したくもねぇ、と愚痴る様に答えると、カインは再度気持ち悪そうに髪を掻き上げた。
「それより、会えたんなら丁度良い。風呂連れてってくれ」
「良いの? こんな所に立ってたって事は、誰か待ってたんでしょ?」
「構わねぇよ。目が開けれねぇなら水貰ってくる、って行ったっきり、全然戻って来やしねぇ」
不満げに話すカインにふぅん? と相槌を打ち、ルックはカインの手を取りながらフリックへと振り向く。
「じゃあ、誰かが戻って来たらお風呂に行ったって伝えてよ」
「わ、判った…」
「部屋のだと後の掃除が大変そうだし、大浴場に行くよ?」
「ん」
カインが頷いたのを見届けた後、ルックは風を呼んで自分とカインの体をそれで包み込んだ。
ふわり、と浮遊感を感じて。直後むわっと体を襲った蒸気に、カインは思わず閉じた瞼を更にぎゅっと瞑る。
「風呂場に直行したのか?」
「脱衣所汚したらテツに悪いじゃない」
至極納得のいく答えをさらりと返し、ルックはカインの手を解放した。荷物置いてくるから待ってて、と残して離れていく気配にほんの少しだけ寂しさを覚えつつ、カインは大人しくその場で佇む。するとすぐにからからと引き戸が開く音がし、同時にあれ? という間の抜けな声が聞こえてきた。
「ルック、いつの間に入ってたの? しかも服着たまま」
「先刻。カインが風呂に連れてけって言うから」
「え? あ、カインさん? 今からお湯持ってく所だったのに!」
待ってて下さいよー、と不貞腐れた様に投げ掛けられた同盟軍盟主であるエルの声に、カインは眉を吊り上げながら腰に手を当てる。
「充分待っただろうが。水持ってくるだけでどれだけ時間食ってんだよ」
「仕方無いじゃないですか。水よりお湯の方が良いかなってお風呂に来てみたら、丁度清掃中でお湯が全部抜けちゃってたんですよ」
「そーそ。で、円滑に湯を貰う為、甲斐甲斐しく掃除を手伝ってた訳だ」
尊い労働してたのよ、と。ひょいと引き戸の向こうから顔を覗かせたシーナが、おどけた風にエルの後に続けた。
と、そんなシーナの後ろから、お待たせ、と袖を捲り上げながらルックが戻ってくる。
「とにかく、目に入ったのを流しちゃおうか。そうしたら後は自分で洗えるし」
再び手を取りながらのルックの言葉に、カインはすい、と小首を傾げて。
「目ぇ以外は洗ってくれねぇ訳?」
「…こんな公衆の場で何言ってるの」
「公衆の場じゃなきゃ洗ってやんのか?」
「二人っきりなら洗っちゃうんだー」
「切り裂くよ其処の二人!」
思わず突っ込んだシーナとエルに吼えつつ、ルックはカインの手を引き浴槽の方へ足を向けた。カインに浴槽の傍へと腰を下ろさせ、近くに積まれた風呂桶を手に取る。そうして湯船から湯を掬い、それをカインの目の前に差し出した。
「はい、洗って」
「ん」
手探りで風呂桶の中に両手を突っ込み、カインは顔ごとざばざばと目を洗う。ついでとばかりに風呂桶を受け取り、汚れたバンダナを取りながら服が濡れるのも構わず湯を頭から被った。
「どう?」
手で顔を拭うカインにルックが問い掛ける。カインはぷは、と息を吐くと、前髪を掻き上げながら瞼を上げた。
ぱちり、と開くのは、鮮やかな宝石の様な紅い双眸。
変わらぬそれにルックがほっと顔を綻ばせるも、カインはぱちぱちと幾度か瞬き、僅かに眉を寄せてルックに風呂桶を差し出す。
「? カイン?」
「悪ぃ、もう一杯くれ」
首を傾げながらもルックが言われた通りに湯を掬って風呂桶を差し出せば、カインは再びざばざばと目を洗った。先程よりも熱心に洗い、やがて顔を上げる。
「…………」
「…カイン?」
不意に己に向けてひらひらと手を振り始めるカインに、流石に怪訝に思いルックがその顔を覗き込んだ。只ならぬ二人の様子に、エルとシーナも不思議そうに歩み寄ってくる。
「カイン? どーしたんだよ」
「カインさん?」
しかしカインはそんな三人を余所に、困った風に眦を眇めて。
「……目」
「?」
「目が、見えねぇ」
ぽつり、と漏らされた呟きに、三人は三様に目を見開き、絶句した。
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