「…居ないなぁ、カイン殿。ま、俺等が簡単に見つけられる相手じゃないけど」
「何だっけ? 捕まえられたらキスして貰えるんだっけか?」
ぎょっ、と息は潜めたまま、カインは驚愕に目を瞠る。
「え? 俺は好きな事何でも一つして貰える、って聞いたぞ?」
「そうなのか? でも俺、好きな事って言われても…、……やっぱりキスが良いかも」
「ああ、何か判る気がする。あの人って、何か…」
「…………」
「…………」
「…も…もう少し探してみるか?」
「そ、そうだな…」
…もしかしなくとも、この状況は非常に拙くないか。
声が遠のいていくのを聞きながら、カインは物陰にしゃがみ込んだまま茫然とした。噂が一人歩きしている時点で既にとてつもなく拙い。
どうする、と思考を巡らせて。と、その時耳に届いた二人分の足音に、カインははっと我に返って顔を上げる。
先程の声とは逆方向から聞こえてくる足音に、此処は拙い、と咄嗟に腰を上げて。
「カイン殿?」
しかしふと聞こえてきた自分の名を呼ぶ声に、カインは逃げようとしていた足をぴたりと止めた。ゆっくりと振り返り、思い当たる声の主を頭に思い浮かべる。
「…赤騎士か?」
「はい。それと部下が一人居ます。目の事はルック殿から伺いましたが、…こんな所でどうされました?」
歩み寄りながらのカミューの問いに、カインはほっと一つ息を吐いた。髪を掻き上げながらエルに追われてる、と端的に答えると、カミューはああ、と苦笑気味に相槌を打つ。
「先程から妙に城内が騒がしいと思ってはいましたが」
「あんたは参加してないのか?」
「仕事中ですから。それに今の貴方の様な状態の方を追い詰める趣味はありませんよ」
マイクロトフに知られたら激怒されそうですし、と続け、カミューは優雅な仕草で軽く小首を傾げた。
「お疲れの様ですし、良ければ部屋までお送りしましょうか?」
「それは有難い…が、多分大変だぞ? 俺を探してる奴等が其処ら辺に山程居るし」
「ああ、そうですね」
ふむ、とカミューは暫し考え込むも、やがて何かに気付いた風に小さく声を上げる。カインが問う様に首を傾げれば、カミューは少し待っていて下さい、とその場を離れた。が、すぐに戻ってきたかと思うと、腕に抱えたそれをふわりと広げ、カインの頭からすっぽりと被せる。
「っ! …シーツ?」
鼻を擽る日溜りの匂いにカインがぽつりと呟けば、カミューは微笑ってはい、と頷いた。次いで失礼、と手を伸ばし、ひょいと軽い動作でカインを横抱きに抱き上げる。
そうして所謂お姫様抱っこの状態に思わず固まってしまったカインに、ふ、と口許を緩めて。
「通りすがりの女性にお借りしました。気分が悪くなった女性を運んでいる、とでも言い訳すれば、下手にシーツを剥ぐ訳にもいかないでしょう」
そうカインに告げると、カミューは背後の部下にルックへの言伝を頼み、廊下を歩み始めた。
「ルック殿の部屋で宜しいですか?」
「…あぁ、頼む」
ふぅ、と深く息を吐くと、カインは体の力を抜いてカミューの肩に頭を預ける。開き直った方が精神的には楽だ。
ついでとばかりに目を閉じれば、其処にはやはり変わらないままの視界。目の奥の方で感じるちりちりとした熱が、神経の疲れを物語っていた。
と、そのまま暫く揺られていれば、不意にカミューの足取りが途絶える。
顔を上げてどうした、と問おうとして。しかしその前に気付いた進行方向に在る気配に、カインは眉を寄せた。
「何処行かれるんです? カミューさん」
「エル殿…」
廊下に立ち塞がる少年の姿にカミューは微苦笑を浮かべる。そんなカミューににっこりと微笑い返すと、エルは可愛らしく小首を傾げてこつこつと歩み寄ってきた。
「カインさんを探してるんですけど、知りません?」
「さぁ…。私は今日は、彼とはお会いしてませんので」
「ふぅん? 僕は何だか、すぐ近くに居る様な気がするんですけどね。…所でその腕に抱えてる人、どなたですか?」
にーっこり。
満面の笑みで問い掛けてくるエルに微苦笑を浮かべると、カミューはそろりと視線を流して。
「その質問に答える前に、エル殿にご用がある方がいらっしゃる様ですよ」
そうカミューが告げると同時、エルの肩を背後から誰かがぽん、と軽く叩く。
え? とエルが振り向くと其処にはルックが立っていた。その事にエルがきょとんと瞬くと、ルックは肩を叩いた手をすっ、と横へと向ける。
その仕草に促されるままに、横へと視線を移してみれば。
其処には。
「……貴方という、方は……」
怒りの業火を背景に額に青筋を浮かべる、シュウの姿が。
「…こ、ここ今日和シュウさん本日はお日柄も良く…!」
青褪めたエルが場を和ませようと咄嗟に発した挨拶も虚しく、ぷち、と何かが切れる音が聞こえて。
「っっ城中巻き込んで一体何をやっているんだというか戻ったらまずは俺の所に報告に来いと毎度毎度あれ程口を酸っぱくして言っている事をもう忘れたのかこの馬鹿軍主――――!!!」
本拠地中に響いたかと思われる怒髪天を突くが如し雷が落ちた事で、軍主の暴走によって起きた騒動はひとまず決着する事と相成った。
尚、軍師が日々常飲しているホウアン特製胃薬の量が、この日倍増する事となったそうな。





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