鬱蒼とした森の奥に、その砦はひっそりと木々に隠れる様にして其処に在った。
遥か昔から狩人達の一時の安息場所とされてきたその建物が、盗賊達の拠点として増改築して使われ始め、近隣に住む者達の脅威へと成り変わり始めたのはいつからか。普段は比較的静かなその砦からは、今は怒声や荒々しい足音が時折響いている。
そして砦から少し離れた木の枝に腰掛け、その音に耳を澄ませている少年が一人。
歳は十五、六程だろうか。目は伏せている為瞳の色は窺えない。法衣とも旅衣ともつかぬ若草色と白を基調にした衣服に身を包み、緩く一つに編んだ薄茶の長い髪を腰元まで背に流している。その体躯は傍目にも酷く華奢で、人形の様に整った顔は線が細く、何処か女性的なものを感じさせる雰囲気も相俟って彼を中性的な存在へと仕立て上げていた。
と、不意にぴくりと少年が反応を示し、その透明度の高い翠蒼の瞳が覗く。
少年は顔を上げると、自分へと向かってくるそれを視界に捉えた。青空を横切り、一匹の鳥がふわりと舞う。
黒曜石の色をしたその鳥は、己をひたと見つめる瞳に応える様にばさりと羽ばたくと、柔らかい動作で少年の膝に留まった。きょとりと小首を傾げて少年を見上げるその嘴には、雑に丸められた紙が咥えられていて。少年がそっと手を差し出せば、鳥は心得たとばかりにその紙を少年の掌にぽとりと落とす。
じっと見上げてくる月色の瞳に促される様に少年が丸められた紙を開くと、其処には慌てた風な文字でたった一言。
『迷子になりました』、と。
「……………」
暫しの沈黙の後盛大に溜息を吐いた少年に、鳥が不思議そうに首を傾げた。
丸められていた所為でくしゃくしゃになってしまっている紙を折って懐に仕舞い、少年は自分の身長の三倍以上はあろう高さを、呆れた様な表情のまま躊躇う事無く枝から飛び降りる。事も無げにふわりと地面に着地し、続く様に自分の肩に留まった鳥を一瞥すると、後ろを振り向き誰も居ない森へ向けて声を掛けた。
「ねぇ」
数拍の後、おずおずと気の弱そうなひょろっとした青年が少し離れた木の陰から顔を出す。青年はびくびくと辺りを気にしながら、少年に小走りで駆け寄った。
「な、何でしょう」
自分と相棒を此処まで連れてきた案内役のびくついた態度に嘆息し、少年は砦を見遣る。
「何か迷っちゃったらしいから、ちょっと中に行ってくる」
「え、えぇ? ですが、盗賊達が出て来たら…」
本来ならば、先に砦に侵入した少年の相棒が盗賊達を適度に倒しつつ建物から追い出し、出て来た盗賊達を少年が順次紋章で眠らせて捕まえていく、という作戦だった。相棒から話を聞いた瞬間、作戦と呼ぶには雑過ぎる、と少年は頭を痛めたものだったが。
しかし相棒も盗賊達も一向に出て来る気配は無く、更に寄越された手紙の内容を配慮するならば作戦の変更は止むを得ない。
「片っ端から倒していくから多分その心配は要らない。もし一人二人出て来たとしても、その位なら放っておいても良いから」
あんたはとにかく隠れてて、と少年が見上げると、青年は不安げな顔のままはい、と小さく頷いた。それに頷き返し、少年は振り返ってさて何処から入ろうか、と砦を見上げる。
その華奢な背中をじっと見つめた後、青年は再び隠れようと踵を返し掛け―――けれどふとその足を止め、足音を立てない様にそっと少年に歩み寄った。
砦を見つめ続ける少年の細い背に密やかににぃ、と口の端を上げ、静かに懐を探って短刀を取り出す。小さな、けれどもやり様によっては人の命を奪うには充分なそれを鞘から抜き、落とした視線で刀身の輝きを確認すると、それを右手で逆手に掴んで高く持ち上げた。
そして相変わらず背を向けたままの少年にもう一つ笑い、青年が勢い良く右手を振り被った、瞬間。
「――――ッッ!!?」
ばさり、と鳥が舞う。
刃先が少年に届く前に唐突に正面から体を襲った突風に、青年はなす術も無く吹き飛んで後方の木に激突した。かしゃん、と一拍遅れて短刀が地面に落ちる。
少年は風を放った右手をゆっくりと下ろすと、打ち所が悪かったのか、そのまま気を失ってずるずると倒れ込んだ青年を一瞥して。
「……もう少し、演技力の方を何とかした方が良いと思うよ」
そうぽつりと呟く少年の肩に再び黒曜の鳥が留まった。反応の無い青年に肩を竦める少年の横髪を、鳥が嘴で咥えてつんつんと引っ張る。
その仕草にくす、と小さく微笑って。
「さて、迷子を回収しに行こうか」
くるりと踵を返し、少年は砦に向かって歩き始めた。
一方その頃砦内では。
「にーちゃんすっげーなぁ! つえーなぁ!」
「……どーも」
きらきらと目を輝かせて自分を見る、自称五歳の子供を片腕に抱え、一人の少年がげっそりと廊下を歩いていた。
漆黒の髪に鮮やかな紅い瞳。赤色の動きやすそうな衣服を身に纏い、頭には薄緑色の布を巻いている。年の頃は十六、七と思われる整ったその顔は女性めいていて、酷く妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「居たぞ! ガキ共だ!」
と、廊下の先から柄の悪そうな男が三人程現れ、少年は眉を寄せる。しかし途端にすぐ傍でうわぁ! と緊張感の無い歓声が上がり、がっくりと脱力して。
「大人しくし―――」
武器を構えて二人を捕らえようと動き始めた男達の言葉は、それ以上続く事は無かった。
きょとん、と子供の大きな瞳が見開かれる。
瞬く間に自分達の後方に移動した―――正しくは移動したのは少年なのだが―――少年の背中越しに見える三人の男達。彼等が床に倒れ込むのと、少年が右手に持つ棒状の長い武器をひゅっ、と鳴らして持ち直したのはほぼ同時。
「……っすげー! すげー!」
「はいはい」
暫しぱちぱちと瞬いた後、子供は再び興奮した風に声を上げ始めた。それを適当に宥めていた少年は、ふと視線の先に扉がある事に気付き、お、と声を上げる。腕の中の子供を抱え直して扉へと駆け寄り、室内に人の気配が無い事を確認すると、幸運にも鍵の掛かっていない扉を僅かに開いてそっとその中を覗き込んだ。
「……倉庫、か?」
用途の判る物、判らない物。様々な物が散乱する室内に足を踏み入れ、少年は腕に抱えていた子供を床に下ろす。そのまましゃがみ込んで視線を合わせ、子供の頭をがしがしと撫ぜた。
「此処に隠れてな。終わったら迎えに来てやる。そしたら家まで送ってくから」
「えー? だめだよ! おれはリーナを探しにきたんだから!」
「あのな…」
またか、と少年は頭を抱える。
Next≫
△Index