大陸の東の果ての港街。比較的犯罪が多い地域にあるその街には、それに対処する為に作られた通称『ギルド』と呼ばれる民間の組織があった。
ギルドが行うのは依頼により決定した様々な賞金首の公示。そしてそれを狩る、ギルドに登録した賞金稼ぎ達の管理である。
実力主義であるそのギルドに、二人の少年がふらりと訪れたのは一年半程前。
当然の様に賞金稼ぎとして登録すると言い出した少年達を、ギルドの人間や賞金稼ぎ達はこぞって笑い飛ばした。お前達の様な子供に勤まる事では無いと。
しかしそれは初めだけの事。ギルドへの登録後すぐに賞金稼ぎとして活動を始めた少年達は、かなりの手練れでも中々手が出せなかった賞金首に幾つも手を出し、かつあっさりとそれらの依頼を完了させていって。少年達がギルドを訪れて二月程経った頃には既に嘲笑はすっかりなりを潜め、代わりに彼等はギルドの中でも一目置かれる存在になっていたのである。
――――不思議な程にあっさりと、まるで柔らかな空気の様に。
「…おお!? ルックじゃねーか!」
そして夕陽が沈み掛ける夕刻。ギルドが経営し、主に賞金稼ぎを生業とする荒くれ者達が集まる宿屋。
その一階に備えられた酒場から、その叫びは上がった。
買い物帰りなのか、片腕に荷物を抱えたルックは入口でぱちくりと瞬く。しかしすぐに微苦笑を浮かべると、扉を閉めて屋内へと足を踏み入れた。
「こんな時間からもう酒盛り?」
「こんな時間だからこそ、だろ! それよりお前等、またどでかいのをやったそうだな」
「ああ、それは俺も聞いたぜ。ガザーの森の砦の奴等をやっちまったんだろ?」
がやがやと喧しく酒を煽りながら話し掛ける賞金稼ぎ達に、ルックはくすりと口の端を上げる。
「あんた達が情けないから僕達がやってあげたんだよ」
「言いやがったな小僧!」
どっ、と酒場に笑いが起こった。
荒くれ者達の中に居る細身の少年は、傍目から見れば酷く異質で、けれど何処までも自然であり。そんな不思議で明るい雰囲気の中、一人の男がルックを手招く。
「まぁ、お前も来いよ。飲もうぜ」
「この前もそんな風に言って、カインに睨まれてなかった?」
腰に手を当てて小首を傾げるルックに、男がそうだっけかな、と情けない笑顔で肩を竦めた。そんな彼に再び笑いが起こり、その様子をひとしきり眺めた後、ルックはふわりと踵を返す。
「あ、おい? ルック…」
「マスター、全員に麦酒一杯ずつ。後で払いに来るからツケておいて」
カウンターに歩み寄ったルックが酒場の主に軽く告げた言葉に、周囲がわっと歓声を上げた。
良いのかい? と問うカウンター内の柔らかい雰囲気の男に、ルックはうん、と頷く。
「マジか!? ルック!」
「良いよ。どうせ目当てはそれだろうし」
その代わり、今回付き合うのはパスね。
そう男達へ微笑って答え、ルックは酒場の奥へ向かって歩き始めた。気が向いたらカインと来いよ! と背中に掛けられる声にひらひらと手を振りながらゆっくりと階段を上がる。幾つもの部屋が連なる廊下を進み、やがて耳に届く喧騒が小さくなった頃、とある扉をノックも無しに開いて。
「お帰り」
「ただいま」
ふわりと微笑で迎えたカインに微笑み返し、ルックは後ろ手で扉を閉めた。寝台の上で何やら金勘定をしているらしいカインに歩み寄って、抱えていた荷物をサイドボードに下ろす。
「勇者殿は?」
「母親に思いっきり殴られて頭にタンコブ作ってた」
寝台に腰掛けながらのルックの答えに、カインはだろうな、とけらけらと笑った。
「そっちは?」
「上々。予想通り一割増」
「そう」
「因みにユエはもう寝た」
「そっか」
「で、ルック」
シーツの上に広げていた金銭を仕舞いながらのカインの呼び掛けに、ルックは何? と小首を傾げる。そんな彼に視線を合わせると、カインはルックの腕を引いてその体を引き寄せた。そのまま自分の膝を枕に仰向けに寝転がせ、唐突な膝枕にきょとんと見上げる翠蒼の瞳にふ、と微笑い掛ける。
「そろそろ行くか」
軽い調子で続けられた言葉にルックがその目を瞠った。
しかしすぐに肩の力を抜くと、髪を梳いてくる掌に身を任せる。
「…一年半か。結構長居したね」
「居心地良かったからなぁ、此処」
うん、と頷きながらルックは目を伏せた。
カインと己の右手と魂に宿るもの。それが宿るが故に進まなくなった体の時間。
最早それを呪いと思う事は無くなったけれど。一ヶ所に長く留まる事が出来ないのは、変えようの無い現実。
けれど、だからこそ歩み続けるのだ。
それは遥か昔の約束。
行こう、と。
只々幸せ過ぎる日常の中で、それでもそう言ったカインの顔を、ルックは今でも鮮明に思い出せる。
「…カイン」
「ん?」
閉じていた瞼を開き、ルックは自分の髪を梳き続けるカインを見上げた。
穏やかな微笑のまま見下ろしてくるその紅い瞳は酷く鮮やかで。星の様だ、とルックは何気無しに思う。
「愛してるよ」
唐突な告白に、今度はカインが目を見張る番だった。
カインは暫しきょとんと瞬くも、やがて目許を緩めてくすりと小さく微笑う。背を屈めてルックの白い額に一つ口付けを落とすと、その頬を愛撫する様にそっと撫ぜた。
「いきなりどうした?」
「…別にどうも」
只、言いたくなっただけ。
そうぽつりと零れた呟きに僅かに目を細め、カインは投げ出されていたルックの手を取る。持ち上げたその手の指先にそっとキスを落とし、そうか、と呟き返した。ルックは指先の感触にくすぐったそうに肩を竦めると、首を擡げてカインを見上げ。
「今度は、何処へ行く?」
「何処でも良いけど…―――あぁ、丁度港に居る事だし一度戻るか?」
「デュナンに?」
「そう。最後に戻ってからもう大分経つだろ」
「九…十年位かな。……ところで船旅はもう決定な訳?」
指を折って数えながらじとりと嫌そうに見上げてくる翠蒼の瞳に、カインはくすくすと可笑しげに微笑う。
「宿星が集まる訳で無し、転移は駄目だぞ。いい加減慣れろ」
「絶対無理…」
げっそりと呟くルックの頭を慰める様にぽんぽんと叩き、ちらりと向けられた瞳にカインは目許を緩めた。
「…―――墓参りも行ってやらねぇとな。寂しがっちゃいないだろうが、拗ねてはいそうだ」
「…そうだね。カインは何処ぞの王様の酒盛りにも付き合ってあげないと」
「あー…。高いの用意させるか」
他愛も無い事を話しながら二人は微笑い合う。
指を絡めて。触れ合って。温もりを交し合って。
やがてルック、とふと呼ばれ、ルックは自分の頬を撫ぜる少年の顔を見上げた。相変わらず微笑んだままのカインは再度背を屈め、今度は唇へとキスを落とす。
「……俺も、愛してる」
ちゅ、と啄まれ際に囁かれた言葉に、ルックは満足そうに頬を緩めた。
いつか。
遥か遠い昔。只々幸せだったあの時に決めたのだ。
歩もう、と。
人としては充分過ぎる程に長く生きた。それでも自分達はまだまだ若輩者。
―――――ならば若い者は若い者らしく、精々気張って進もうじゃないか。
「うん」
大切な愛しい存在達は既に土に還った。けれど。
掛け替えの無い至上の存在は、他でもない此処に在るのだから。





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