「……それ、何?」
同盟軍の図書館、その横にひっそりと佇む泉の畔。
仕事の後の待ち合わせ場所であった其処でルックが問い掛ければ、紅い双眸は一度下を向き、再度彼を見上げた。
膝で好きにさせていたそれをひょいと抱え上げ、カインはことりと首を傾げる。
「赤ん坊?」
カインの手の中には確かに、くりくりとした大きな青い瞳でじっと見上げてくる、小さな小さな赤ん坊が一人。
そのまんま過ぎる回答に、ルックは軽く肩を落として脱力した。
「本読んでたらいつの間にか傍に居たんだ。で、母親は捜したらすぐに見つかったんだけど、何か忙しそうだったからそのまま預かった。一刻程で戻ってくるって言ってたし、多分もうそろそろ引き取りに来るんじゃねぇか?」
「ふぅん…」
カインが説明している間も、赤ん坊はその膝の上でころころと動き回っていた。
膝から落ちそうになれば、伸びたカインの手が危なげなく自分の許へと引き戻す。その仕草に何処となく慣れを感じ、ルックは相槌を打ちながらちらりと横目でカインを見上げた。
「……何だか…」
「ん?」
「慣れてない? 子守り」
シュウの様に全面的に子供に嫌われる性質でない事は知っていたが、だからといって子守りをする姿は流石のルックもお目に掛かった事はない。これがもしグレミオならば、特に不思議に思う事も無いのだが。
感情につられたのか、思わず胡乱とした視線と共に問い掛けてくるルックに、カインは事も無げにあぁ、と頷いた。
「放浪してる間、一時期世話になってた娼館でやってた」
お陰で子供の世話は一通り出来る様になったんだよな、と続けるカインに、しかしルックは言葉の別の部分に引っ掛かって目を細める。
「………娼館?」
ぽつり、と落ちる呟きに、カインはぱちりと目を瞬かせた。
「別に、売っても買ってもいねぇぞ」
「ふーん」
「ホントだって。最初は俺が用心棒、グレミオが子守りって話で仕事引き受けたんだよ。そしたらいつの間にか、グレミオが家事全般、俺が子守りと用心棒って事になっててだな」
「…ふーん」
カインの言葉にその当時の様子がありありと想像出来て、ルックは呆れた風に二度目の相槌を打つ。それにしても子守りが出来る英雄ってどうなのか。
と、ルックの呆れた風な相槌に納得した事を悟ったのか、カインは顔に無遠慮に伸びてくる手をやんわりと掴みながら言葉を続けた。
「あの時はこいつと同じ位のと、言葉喋れる様になったばかりのと、二人世話してたんだけどな。子供って尽々凄ぇって思った」
「何が?」
「泣いて、笑って、毎日全力で生きてる」
何処か敬意を秘めた様な声に、ルックは思わずカインに顔を向ける。
すると其処にあったのは、柔らかに、少し困った様に幼子を見つめる、微笑。
―――どうして、そんな顔をするの。
そんな思いが胸中を駆け巡るも、顔ごと視線を逸らす事でルックはその思いを押し殺した。
そんなルックの様子を僅かに不思議そうな表情で眺めつつ、カインはふと思い付いた考えのままに膝の上の赤ん坊をひょいと持ち上げる。そうしてきょとんとする目の前の青い双眸ににこりと微笑い掛け、そのままその小さな体を横に座るルックの膝の上に下ろした。
途端、ルックがぴしりと硬直する。
「―――ちょ、カ、カイ…っ!!」
「どうせ抱いた事なんて無いんだろ?」
「な、無いけど、いいよっ、僕はっ!」
「何事も経験。首はもう据わってるから、ちょっと手荒に扱っても問題無ぇよ」
ほら、と掴まれた自分の手が赤ん坊の背に添わされるのに、ルックはびくりと大きく肩を震わせた。その反応にくつくつと喉を鳴らすカインを恨めしげに睨み付け、同時に彼に膝の上の存在を引き取る気が無い事を察すると、ルックは怖々ともう片方の手も赤ん坊に添わせる。カインとは全く違う温かさが布越しに伝わってきて、何処となく奇妙な心地がした。
赤ん坊はきょとんと零れんばかりの瞳でルックを見上げていたものの、やがて添えられた手にふにゃりと笑ってぽすんとルックの胸の中に飛び込む。―――どうやら、随分と物怖じしない性格らしい。
胸に懐いてくる赤ん坊に、ルックは困惑した風にカインに縋る様な視線を向けた。
「な、何か、ふにゃふにゃしてるんだけど」
「どんな生き物でも赤ん坊の時はそういうもんだろ。犬でも猫でも人間でも」
「でも、前にロッテが世話してた子猫はもっとしっかりしてたよ」
「子猫っつっても、あれはもう自分で動き回れる位に成長してたろ。あれよりもっと前……母猫に運ばれなきゃまともに動けない時期はもっとぐにゃぐにゃだぞ」
「ふ、ぅん…?」
話しながらも触れ続けている内に、多少は慣れてきたらしい。恐る恐るといった様子ながらも赤ん坊を抱き締めるルックに、カインは微笑ましげに小さく口の端を上げる。
「で、感想は?」
ふと寄越された問い掛けに、ルックは腕の中の存在を気にしつつもぱちりと瞬いてカインを見た。
次いで視線を落とせば、赤ん坊は胸に凭れ掛かりながら眠りに誘われ始めている。どうやらルックの腕の中がかなりお気に召した様だ。
うとうととしている赤ん坊の髪を指先で怖々と撫ぜ、ルックは小首を傾げて再度カインに視線を向けた。
「………未知の生命体?」
突拍子の無い、けれども何処か納得出来るルックの回答に、カインは思わず声を上げて笑う。
その後、暫しの後に母親が迎えに来るまで、ルックはずっと眠りに落ちた赤ん坊を抱えていた。
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