【おいでませ天国】





「アレン! この馬鹿が、起きろ!」
クロスの怒声が、意識の端で微かに響いていた。
判ってます。そう答えようとするも、アレンの喉を通るのは掠れた吐息のみ。イノセンスの発動だけは解くまいと踏ん張ってはいるけども、それもいつまで保つか判らない。
荒く息を繰り返しながら僅かに体を捻り、アレンはそろりと己を再び拘束したアクマ数体の様子を窺った。
先程のノアの命令の為か、このアクマ達はアレンに対し大人しくなるまで攻撃を加えてはくるが、殺すまではしない様だ。そこにチャンスを見出すしかないだろう―――。
「きゃあッ…!!」
そう考えていた矢先、不意に耳に届いた悲鳴にアレンははっと顔を上げる。
急いで視線を向けた先には、倒れ込むマリと、そんな彼に庇われる様にして床に伏す、今にもアクマの攻撃を受けそうな―――ミランダの姿。
「ッミランダさ…っ!!」
彼女が倒れれば、伯爵側に卵を奪われてしまう。
いやそれ以前に、後方援護型である彼女の体が、レベル3以上のアクマの攻撃に耐え得るか―――。
「………ッッ!!」
衝動的に、アレンは残る力全てを以て拘束への抵抗を試みた。
同時に全身にかなりの苦痛を伴ったが、そんなもの如きで抵抗を止めるつもりはない。する筈も無い。
其処に居る仲間に危機が迫っていて、そして自らの手が彼等に届く所にあるのなら。
何もしないでいる理由なんて、アレンには何一つ無いのだから。
「はな、せ――――…!!!」
その、時。
「寄越せ、モヤシ!!」
不意に響いた命令調の声に、アレンは反射的に従った。
半ば解け掛けていた右腕の拘束を無理矢理振り解き、そのまま振りかぶって右手に携えたままだった剣のイノセンスを声がした方向へ向かって投げ付ける。一瞬後には切っ先を先にして投げ付けてしまった事に思い至ったが、元より刀剣を武器とする相手にはそれは無用の心配の様だった。
アレンを失礼なあだ名で呼び付けた声の主は、危なげなくアレンのイノセンスを受け取り床に着地すると、一瞬だけその質感を確かめる様に手の中のイノセンスを軽く持ち上げる。しかし次の瞬間には、その持ち前の速さによって、その姿はアクマとミランダの間に割って入っていた。
突如目の前に現れた人物にぎょっと動きを止めるアクマをその切れ長の双眸で睨み付け、声の主はアレンのイノセンスをアクマに突き付ける。
「いつまでも人の庭で暴れてんじゃねェよ」
声と同時、アクマの体は真っ二つに切り裂かれていた。
その一連の所作を声も無く見守っていたミランダは、己の危機を救ったその人物に声を掛けられるに至って漸く我に返る。
「おい」
「…………」
「おい」
「は、はいっ!?」
「呆けっとしてんじゃねェ。さっさとマリの傷を吸い出せ」
「あ、は、はいっ!!」
ミランダがマリに対しイノセンスを使い始めたのを見届けた後、その人物は床を蹴り再度敵を屠り始めた。
殆どのアクマを反応を返される前に滅し、ある程度の数を片付けたところで最後にアレンを拘束していたアクマ達を切り捨てアレンを床に落とす。
「あだっ!!」
拘束から解放された直後だった所為か、上手く受け身を取れぬまま床に落ちてしまったアレンは、しかしすぐに勢い良く起き上がると、近くに悠然と降り立った相手に対して猛然と抗議を始めた。
「酷いじゃないですか神田! もうちょっと考えてから落として下さいよ!」
「はっ、助けてやっただけ有難く思えよ」
「…ふぅん。人のイノセンス借りてる人がそういう台詞ですか。自分の壊して人のを借りてる人の台詞とは思えませんね」
ばちり、と。空気に電気が走りそうな雰囲気に、近くに居たミランダがオロオロと狼狽える。その横で傷を吸い出して貰ったマリがやれやれと溜息を吐いていた。
一触即発なそんな空気の中、しかしそれに割って入ったのは、不意に床に突き刺された神田の手の中のアレンのイノセンスで。
「…とにかく、何とかしろ。刀身が広くて鬱陶しい事この上無ェ。あと重さもだ」
「何とかしろって…」
「出来ねェのか?」
ふん、と鼻で笑いながらの神田の言葉に、アレンはむ、と片眉を上げて床に突き刺さったイノセンスへと右手をぱん、と押し当てる。
「舐めた事言わないで下さいよ! ていうかこの位の重さでヘバるなんて、神田の方こそ鈍ってるんじゃないですか!?」
「他人のイノセンス使うなんざ初めてなんだよ! そもそもテメェは何でこんな使い難い形にしてやがんだ!」
「僕にとっては使い易いんですから良いじゃないですか!」
二人が言い争う中、イノセンスはゆっくりとその形状を変えていった。
重量は、軽く。
刀身は狭まり、そして片刃に。
見た目こそアレンのイノセンスの片鱗を残しているものの、その武器としての姿形は確かに、神田のイノセンス―――六幻に近いものへと。

Next≫
△Index