【鳶と油揚げと純情少年】





リオンが重傷の床に就いて、早二日。
三日目の早朝である現在、ロイはカフェルナーシェの部屋に向かって黙々と歩いていた。
「…………」
少しだけ悪かったかも、と思ったのだ。二日経ち、多少は冷静になった頭で、漸く。
リオンが医務室に運ばれた直後、激情のままに罵り尽くしたロイの言葉を、カフェルナーシェは静かに受け止めていたけれど。しかしよくよく考えれば―――考えなくとも―――カフェルナーシェにとってのリオンは、守られるべき対象であればこそ、守る対象ではないのだ。決して。
そして、この軍の要である存在としても、リオンを守るなどという行為は必ずしも許される事ではなく―――。
(……だからって、別に謝るつもりじゃ、ねぇけど)
では何をしに行くつもりなのかといえば、それはロイにもいまいち判りかねるところだった。
取り敢えず、行ってみようと思ったのだ。この数日、ひたすらリオンの傍に座り、彼女の目覚めを待ち続ける彼の所へ。
両親を殺され、妹を奪われ、叔母に裏切られ。そして今唯一手元に残る最後の絆を、必死に繋ぎ止めようとしている可哀想な王子様の所へ。
「おい、居るんだろ。入るぜ」
辿り着いたカフェルナーシェの部屋の扉を乱暴にノックし、ロイはその扉をがちゃりと開く。周囲の説得により、彼は昨夜はちゃんとこの部屋で眠りに就いた筈だった。
と、部屋に踏み込むが早いか、ロイは怪訝に眉を寄せて首を傾げる。
「……何やってんだ、あんた」
寝台に座って己の流れる髪を一房掴み、それをじっと見つめていたカフェルナーシェは、来訪者に気付くとぱちりと目を瞬かせた。
「ロイ、お早う」
「お早う、じゃねぇよ。何やってんだ?」
ロイが扉を閉めてつかつかと歩み寄ると、カフェルナーシェはほんの少しばつが悪そうに黙り込む。けれどやがてロイに引く気が無いと判ったのか、一つ息を吐いて肩の力を抜いた。再び己の銀の髪を一房掴み、それにそっと視線を落とす。
「髪を……」
「あ?」
「自分で編んだ事が―――余り、無くて」
どうしようかと、思っていた。
そう、何処か途方に暮れた様な顔で呟くカフェルナーシェを、ロイは絶句して見つめた。
「…そ、ん……ほ、他に居るだろ。あのカイルって兄さんとか、ミアキスって姉さんとか」
「うん。―――そう、なんだけれど」
曖昧な微苦笑を浮かべるカフェルナーシェに、今度こそ何も言えなくなってロイは押し黙る。
軽く俯いて唇を噛み、なんだよ、と心の内だけで呟いた。
(なんだよ)
傷付いている。
傷付いているのだ、この王子様は。ロイの想像以上に。
それはそうだ。今までずっと傍に居た人が自分の所為で傷付いて、倒れて。それで傷付かない人間が居るというのなら、それは何と冷血な存在なのだろう。
傷付いて、当然なのだ。
傷付いて、苦しんで、哀しんで。それは人間として、どうしようもなく当然の――――。
「……あー、もう! しょうがねぇな!!」
いきなり頭をがしがしと掻いて叫び出したロイに、カフェルナーシェは驚いてぱちくりと目を丸くする。
そんな彼に向けて、ロイはきっと視線を向けた。
「オ―――…」
オレがやってやる、と口にしようとして。
「……王子様?」
しかしその前にこんこん、と控えめなノックと共に扉から顔を覗かせた少女に、カフェルナーシェは反射的に寝台から腰を浮かせる。そのまま硬直してしまったロイの横を擦り抜けて扉に歩み寄り、常に微笑みを顔に貼り付けた少女―――サギリに向けて、ふわりと柔らかく微笑を浮かべた。
「お早う、サギリ。どうしたの、こんな朝早くに」
「お早う……あのね、軍師さんに頼まれて呼びに来たの」
「ルクレツィアが? 判った、有難う」
と、サギリの視線が己の髪に注がれている事に気付き、カフェルナーシェはそっと小さく首を傾げる。
「サギリ?」
「髪……まだ編んでないんだね」
「―――うん。自分で編むのは、余り慣れてなくてね」
いつもはリオンにやって貰っていたのだと。そう容易に察する事が出来る発言に、サギリが微笑んだまま微かに目を細めた。
暫し考え込む様に俯き、やがて顔を上げたかと思うと、カフェルナーシェに真っ直ぐ視線を合わせてその双眸を見つめる。

Next≫
△Index