027:刈り取る者
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「神田っ、ただいま!」
弾んだ少女の声は、随分と聞き馴染んだものだ。
神田がゆっくりと振り返ると、其処にはぱたぱたと軽快に駆けてくる幼馴染の少女。彼女はそのまま腕の中に飛び込んでくるかと思いきや、ふと神田のすぐ傍で一旦ぴたりと停止すると、手に持っていたトランクを床に置いてから改めてぽすんと抱き付いてくる。
「今帰ってきたのか」
「うん。これから兄さんの所に行くの」
「怪我は」
「掠り傷がちょこっと」
そうか、と答えながら神田は少女の体に腕を回した。
―――と、同時に不意に強い視線を感じ、神田は気付かれない様にしながらそっと周囲を窺う。
(…ラビ?)
視線の先には廊下の角に隠れる様にして立つ、半年程前に入団した赤い髪の同僚が居た。その顔には何とも形容し難い表情が浮かんでいて、何なんだ、と怪訝に眉を寄せるが早いか、次の瞬間にはああ、と納得する。
神田はそっと腕の中へと視線を向けた。安堵しきった様子で自分の胸に擦り寄る少女を見つめ、密かに嘆息する。
彼女―――神田にも言える事なのだが―――は恐らく、情緒の何処かがまともに育っていない。
それは医療班の精神科医の正式な診断であり、彼女の周囲の人間だけが抱える公然の秘密でもあった。因みにその旨を報告した際、中央庁は「エクソシストとして戦うのに問題はない」と一蹴したそうだ。
尤も、コムイが室長に就任するまでの自分達の置かれていた環境を顧みれば、表面的にでも此処までまともに成長出来たのだから、それだけで良しとしなければいけないのだろう。
だが最近、少女が成長するに従い、少々困った事になってきていた。
少女の精神が健康に育っていない事で一番に弊害を被るのは―――多分、彼女に想いを寄せる者達だ。
彼女に想いを寄せる男は多い。彼女の体が女性らしい丸みを帯びてきた頃からその数は格段に増した。
最年少のエクソシストであり、教団内の女性比率が低い事もあるのだが……何より一番の原因は、少女自身の態度にあるだろう。
少女にとって、教団の人間は『家族』だ。『家族』を大切に扱う事に彼女は躊躇を持たない。
そして、男達はそんな態度を勘違いしてしまう。勘違いせずとも、単純に邪な想いを抱く輩も多い。
警戒させる事は、神田は婦長共々とっくの昔に諦めた。代わりに、実力行使する輩はイノセンス発動してでも叩きのめせ、と教え込む事には辛うじて成功したのだが。
ともかく、彼女は男達を勘違いさせる事はあっても、彼等の抱く想いを理解する事はない。否、出来ない。
男達はコムイを一番の障害だと思っている様だが、実際には違う。一番の障害は少女自身だ。何かが起こらない限り、それは未来永劫変わる事はないだろう。
―――だから神田は、こうしてコムイと少女の間に立つ。
「…リナ」
神田はそっと、唇をまろやかな頬に寄せた。少女は当然の様にそれを受け止める。
離れた場所からは息を飲む気配。この程度で、と神田は胸中で哂った。
神田はコムイの様にあからさまな排除はしない。無論、有害と判断した場合は実力行使も辞さないが。
手を伸ばしたいならそうすればいい、と思う。
けれど神田は少女に触れるのを止める気はない。例えどんな男が近付いてこようとも、神田は彼女が望むままに温もりを与え続ける。
いつか、少女がその意志で誰かの手を取るまで、神田はコムイと少女の間に立ち、彼女を抱き締め続ける。
この位で諦めるのなら、所詮はその程度の想いだったという事だ。そして、諦めないのなら少しは骨があるという事。
さぁ、出来るものならその手を伸ばせ。
コムイに対する恐怖を、神田の少女に対する無条件の許容を、少女が神田に向ける絶対の信頼を、その全てを受け止める覚悟があるのなら。
それは言わば、選別。
その想いを刈り取るか否かは―――当人次第。
- End -
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16歳と14歳。あからさまなコムイよりタチが悪い神田さんでした(笑)
神田さん自身はリナリーがコムイと自分以外に目を向ける事に異存はないものの、下手な野郎にはやれるか!という感じです。
(2010-03-19初出)
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