紅い目をした少年は、驚くべき早さであっさりと解放軍に馴染んだ。
元から其処に存在していた様な。そんな、雰囲気で。


カインがこちらの世界に来てから、三日。










「……年の功って奴じゃない?」
紙の上にさらさらと文字を滑らせつつ呟かれた言葉に、リオはふと顔を上げた。
「…年の功?」
視線を向けるも、ルックは相変わらず書類に視線を落としたまま。戻るのは面倒臭い、とリオの執務室で書類の訂正を始めたルックはずっと立ちっ放しで。そろそろ椅子を勧めようかとリオは思案する。
が、口を開くより先に、目の前にずいと書類が押し付けられた。反射的にそれを受け取る。
「あんた、あいつが自分と同い年だとでも思ってるの?」
少し呆れた様な問いに、蒼い瞳が瞬いた。
「違うの?」
首を傾げながらの問い返しに、ルックの口から盛大に溜息が漏れる。そのまま書類の積まれる机に器用に腰掛け、手を伸ばしてリオの右手を人差し指でとん、と軽く突付いた。
「忘れた?」
「何を?」
「真の紋章は不老をもたらす。これを持ってるって事はつまり、それ以上年を取らないって事だ」
あんたはまだ実感は湧かないかもしれないけど。
小さな呟きがぽつりと漏れる。
「あいつがこっちに来た時、これが暴走しただろう? あれは暴走―――というよりは多分、反発なんだ。相見える筈の無い、似て非なる己に対しての」
「……反発」
口の中で反芻したリオに、ルックが頷きを返した。
「あんたにあれだけの負荷が掛かった分、あいつにも同様の負荷が掛かった筈だ。寧ろあいつはこちらの世界では異分子だから、あんたよりも負荷が大きかった可能性もある。けどあいつはそんな様子なんて欠片も見せずに、逆にあんたの反発を代わりに抑え込んだ。…これが何を意味するか、判る?」
暫し沈黙した後、リオが口を開く。
「…僕より遥かに、紋章の扱いに馴れてるって事、かな」
「そういう事」
ふわりと不敵に笑んで、ルックは触れていた手を離そうと動いた。が、包帯が巻かれた手に掴まれ、それは留められる。微かに頬を染めたルックがリオを怪訝にねめつけて。
「…何」
「ううん?」
にっこりと微笑まれ、ルックは早々に抵抗を諦めた。こういう時には逆らわないのが得策だ。
小さく漏れた溜息を了承と取ったのか、リオは満足そうに華奢な手に己の指を絡める。
「……ええと、何だっけ」
「カインが僕より紋章の扱いに手馴れてるって話」
「そう、それ」
「そんなにあるの? 実力差」
至極不思議そうな問いに、小馬鹿にする様にルックが口の端を上げた。
「今、何ともないだろ。紋章」
「? うん」
「それはあいつがあんたの代わりにずっと抑えてるからだよ。こっちに来てからずっと、それこそこうやって離れててもね」
「…そうなの?」
「今のあいつには二人分の負荷がずっと掛かってる。でも、見る限りではけろっとしてるよね」
「…そうだね。物凄く普通だね」
「それがやせ我慢なのかどうかは判断しかねるけど…。…所で、あんた一度でも自分で暴走止められた事あったっけ?」
「…………」
「そういう事」
「…成程」
肩を竦めるリオにルックがくすくすと笑う。
「ま、実際助かったよ。流石に僕も、ずっと抑え込むってのは無理だっただろうし」
そしたらあんた死んでたかもしれないしね。
さり気無く零れた小さな呟きに、リオが首を傾げてルックを見上げた。その仕草に気付いてルックが口を開く。
「何?」
「うん。…ルック、もしかして物凄く心配してくれてた?」
「なっ」
かぁ、とルックの頬に朱が走った。
図星か。その様子を見てリオは内心ほくそ笑む。
「ちょ、違っ」
「違うの?」
リオが小首を傾げると、ルックは口をパクパクとさせて閉口した。その様子の余りの可愛らしさにリオの頬が自然緩む。
体が動くままに、朱に染まった頬に左手を添わせて。
「ルック」
柔らかく呼ばれるが早いか、ルックの肩がびくりと過剰に震えた。どうしたら良いか判らない、といった表情で視線を彷徨わせる。
それに苦笑し、リオはそっと顔を近付けて。
「…有難う」
間近での囁きに、翠蒼の瞳がきょとんと見開かれた。
暫し瞬き、けれどやがて恥ずかしげに細められる。
「……馬鹿」
「うん」
「馬鹿、阿呆、自信過剰」
「…ルック、流石にそれは酷くない?」
「本当の事を言っただけだろ」
ふん、と顔を背けたルックにリオは再び苦笑した。頬に添わせた手に少し力を込め、背けた顔を自分の方に向かせる。
「ルック」
ぴく、と華奢な指先が震えた。合わされた視線にリオがふわりと微笑む。
ルックは憮然とした顔をするも、そろりと背を屈めて。
「おやつの時間だぞー」
直後、どごしゃっ! と素晴らしい音が室内に響いた。
「…………」
扉を開けた姿のまま、カインが固まる。
真っ赤な顔をしてぜぃはぁと肩で息をし、仁王立ちするルック。書類の積まれた机の向こう、辛うじて足だけが確認できるリオ。
これはもしかしなくとも。
「悪ぃ。邪魔したか?」
「何の話ッ!!?」
があっと吼えられ、カインは僅かに肩を竦める。
よろよろと立ち上がったリオが、苦笑しつつ後頭部を押さえていた。
「ちょっとだけ、ね。今日は何?」
「レモンのシフォンケーキ。マリーにも好評だったぞ」
ことり、と部屋の中心に置かれたテーブルにケーキが置かれる。甘いレモンの香りが室内を満たした。
こちらに来た当日から「暇だから」という理由でカインが始めた菓子作り。その腕は中々なもので、女子供は勿論、男性陣にも好評だ。
「ああ、美味しそうだね」
「だろ、結構力作」
「本当、意外だよね…」
「こら。意外って何だ意外って」
「あはは。じゃあ紅茶淹れようか」

そして今日も今日とて、不思議な一日は過ぎていく。









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リオルクのルックはそこそこツンデレ。


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