「あの、すみません」
とある麗らかな午後。
掛けられた声に、カインは上機嫌に手の中の器に向けていた意識を横に向けた。紅い瞳も同時に向けて。そうして視界に映ったのは、少々緊張した面持ちの一般兵が一人。
声を掛けられる覚えが無いカインは、ひとしきり不思議そうに首を傾げた後、あぁ、と合点がいった様に小さく頷く。
「俺、リオじゃねぇけど」
「いえ、用があるのは貴方になんです」
「俺に?」
「はい」
頷く兵士にカインはもう一つ首を傾げた。こちらに、と促され、手の中のそれが溶けてしまわないか気になったものの、しかしまぁいいか、と素直に兵士に付いて行く。やがて小さな小部屋に通されて。
其処に居たのは、やはり緊張した面持ちの兵士が数人。
「…………」
何となーく嫌な予感がしたのをカインは敢えて無視した。人間何でも疑って掛かるのは良くない。
ぱたんと扉が閉まる音に視線だけで後ろを振り向き、自分を案内した兵士を怪訝に見る。
「……それで? 一体何のよ…」
がしゃん、と何かが割れる音がして、カインの言葉が途中で遮られた。両腕を後ろから掴まれ拘束された状態で、カインはそっと視線を下に落とす。
床には手の中から滑り落ちた硝子製の食器の破片と、それに盛られていた蕩ける様な白い色、の。
「お…大人しくしていて下さい。大人しくしていて下されば、乱暴にはしませんから」
後ろから耳に掛かる興奮した様な浅い息。室内に居た兵士達がぞろぞろとカインに歩み寄り、好色そうな視線を向けて。
「な、なあ……ほんとにこの人、リオ様じゃないんだよな?」
「ああ、それは確認した」
「そうか…」
餌を目の前にした獣の様な目をして、一人の兵士がカインの正面に立った。震える手でカインの胸元を肌蹴させ、その素肌に無骨な掌を滑らせる。その感触にごくり、息を飲んで。
「す…げぇ…。この手触り、其処らの娼婦よりよっぽど上等だぜ」
「ほ、本当か?」
「俺にも触らせろよ…!」
幾つもの手がカインの体に伸びた。そんな中正面に立っていた兵士が、更に興奮した様にカインの首筋に顔を埋める。
「リオ様…っ」
すぅ、と。
カインの紅い瞳が、冷たく細められた。










「そりゃあやっぱり、断然色気だろ」
「…色気、ねえ」
自分とカインの最大の違いは何か。
廊下を歩きつつふと思い付いた疑問。その答えを速攻返してきた悪友に、リオは苦笑気味に肩を竦めた。その反応にシーナはぴっと指先を立てる。
「いや、冗談じゃなくてさ。この前も凄かったらしいぜ、大浴場で」
「何?」
「結構混んでた時間帯にカインが入ってきたらしいんだけどよ」
「うん」
「出る頃には、男湯に居た奴等の内の三分の二が股間を押さえて前屈みになってたとかどーとか」
「……うわぁ」
シュールだね。
人事の様にリオが呟いた。その横でうんうんとシーナが頷く。
「俺は男によく欲情なんか出来るなー、って感じなんだけどさ」
「悪かったね、男に欲情して」
「お前は男にじゃなくてルックに欲情してんだろ―――ってそうじゃなくて。でもカインになら欲情しても仕方ねーかも、って思うし」
「そうなの?」
「ああ。普通にしてても何かそそるんだよな、あいつ。お前は?」
「…僕は如何せん、同じ顔だからなぁ」
「…あー…」
「自分の顔に欲情出来る程ナル」
シストじゃないし。
そう続く筈だった言葉は、唐突に目の前で吹き飛んだ扉に遮られた。
二人が呆気に取られる中、人間が一人視界を横切って扉の向かい側の壁に激突する。
うわ、ぎゅんって回転してたよぎゅんって。
心中で思わず感心するリオ。呆気に取られつつも、彼は意外と冷静だった。
と、ゆらり。悲しくも既にその機能を果たしていない扉の向こうから、華奢な人影が一つ現れて。
「………カイン?」
自然視線を向けたリオが驚きに目を見開く。
大きく肌蹴られた胸元、解け掛けた腰帯――――明らかに普通でない状態のカインに慌てて駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「何があったの?」
「…………」
答えぬまま衣服を整えるカインに、困った様にリオは室内に視線を向ける。
其処には数人の倒れた兵士と、乱闘の後と。その二つを認め、導き出される答えに小さく嘆息した。
「…………アイスクリームってのは手間が掛かるんだ」
「……は?」
と、体裁を整え終えたらしいカインがぽつりと呟き、リオは問う様に顔を上げる。
「半刻ごとに掻き混ぜて掻き混ぜて掻き混ぜて……半日。―――折角良い出来に仕上がったってのに」
ぽつぽつと呟くカインはどうやらかなり怒っている様だった。初めて見る彼のそんな様子に、リオが小さく小首を傾げる。
「…軍法会議、する?」
誰が相手にしろやる事はやったのだ。元々軍法会議は確実なのだが、それでもそう訊ねたのは、ひとえにカインという特殊な人物故だった。
じぃっと蒼い瞳が見つめると、カインは苦笑した様に微笑って首を横に振る。
「いい。面倒臭ぇしな。ちゃんと制裁もした事だし」
「そう? …御免ね」
「いいって」
軽く手を振ってカインが踵を返した。そのまま去って行く背中を見届け、リオは物と人が散乱した室内へと足を踏み入れる。
取り敢えずこの部屋を片付けて貰って、その後軍法会議抜きで追放かな。
そんな風に周囲に倒れている彼等の処遇を考えながら、室内を見回して。
「……また、すっげー暴れたなぁ」
漸く我に返ったらしいシーナの声を背後に聞きつつ、リオは目的の物を見つけてしゃがみ込んだ。柔らかな白を、硝子を避けてそっと指先で掬い、ぺろりと舌先で舐める。
口の中に広がるのは、濃厚かつあっさりとした芳醇な甘さ。
確かに、良い出来だ。
(……というか)
あれ明らかに、襲われた事よりアイスクリーム駄目にされた事を怒ってたよね。
先程のカインの様子を反芻し、リオはぽつりと思う。
「…………」
リオの中の、カインという人物の不思議さが、また一つ追加された瞬間だった。









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何処でも襲われる御方ですから。


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