皆が一斉にぴたりと止まり、視線が声がした方へと移る。
ぱちぱちと二つ瞬いた後、カインがきっぱりと断言した。
「いや、浮気じゃねぇぞ」
ふわりと風が四散し、とん、と華奢な体が降り立つ。緩く腰元まで編んだ三つ編みが揺れ、ばさりと羽音を立てて黒曜の羽色の鳥がその肩に留まった。ゆるり、翠蒼の瞳が細められる。
多少違えど、その姿は確かに。
「判ってるけど、第一声がそれ?」
「只のお茶目。それより何とかしろよ、コレ」
黒曜の鳥が三つ編みの少年の肩から羽ばたき、カインの肩に留まった。それに促される様に少年の視線がルックに移り、次いでリオ、シーナ、最後に目の前の本拠地に向けられる。
「…解放軍?」
「当たり」
簡潔なカインの答えに嘆息し、少年はつかつかと歩み寄ってルックの傍に膝を突いた。自分より少しだけ成長した姿、全く同じ色の瞳にルックがたじろぐ。
「幾つ?」
「…は?」
「年だよ」
「……十四、だけど」
怪訝にルックが答えると、少年はふぅ、ともう一つ嘆息した。
「それじゃあ、無理だろうね」
「わ」
ぐいっと腕を引っ張られ、ルックはバランスを崩す。
そして次の瞬間には。
「「「「…………あ」」」」
むちぅ、と同じ顔の少年二人は、思いっきりキスをかましていた。
「……ッ!!」
かあっとルックの頬が紅潮する。慌てて相手を突き飛ばそうとして、けれどその手はびく、と震えて止まった。
「…っ、ん、―――ン」
するり、と抵抗を躱して、あっさりと口内に滑り込んでくる舌。生温かいそれに舌を絡め取られ、口内を蹂躙される。くちゅりと音を立てて流し込まれる唾液。何度も重ね直される柔らかい唇。背筋にぞくりと走るのは、それは確かに、快感。
気付けば、抵抗しようとしていた手は、いつの間にやら相手の胸に縋っていた。
「………どうしよう、カイン」
そしてひそひとと小声で話す、男四人。
「……何」
「何か今、物っっ凄く複雑…」
「…俺もちょっと」
「だがカインとするよりはマシなんじゃないのか?」
「うーん、それも…」
「う、わ、すげ。おお…」
「……シーナ、今すぐ後ろ向いて。見ない。ほら、後ろ向く」
「えー、何でだよ。あんな顔のルックなんて、今後拝めるかどうか…」
「裁こうか?」
「タコ殴りでも良いけどな」
「……謹んで後ろを向かせて頂きます」
あくまで小声である。
「……ふ、…ぁ…」
そしてどれだけの時間が経ったのか。銀糸を引き、漸く唇がゆっくりと離されて。
甘い息を漏らしたルックは、余韻に暫し呆然と佇んでいた。が、目の前でひらひらと手を振られ、はっと我に返る。
「大丈夫?」
かぁーっと、ほんのり色付いていた頬が再び真っ赤に染まった。
唇と顎を法衣の袖で慌てて拭って。
「だ、大丈夫、だけどっ」
「そう。じゃ、それ早く抑えたら?」
淡々とした指摘にルックがはっと目を見開く。
すぐに右手を見下ろし、細められる瞳。一呼吸の後にふわりと周囲に風が舞い、そして散った。
ふぅ、と安堵の息が吐かれる。
が、すぐにその視線は剣呑なものになり、ルックは頬を染めたままじとりと目の前の少年を見上げた。
「……あそこまでする必要が、何処に」
「只触れるだけなら、手を繋ぐのと何ら変わりないじゃない。別にそれで出来なくも無いけど、魔力や生気の摂取に一番有効なのがどんな時か位、当然知ってると思ってたけど?」
「……っ!」
悔しげにルックが唇を噛む。その様子を眺めつつ、リオは横に居るカインにひそりと耳打ちした。
「…どういう事?」
「魔力とか、体に流れてるもんを他人に渡したり貰ったりするには、全身が活性化してる時が一番なんだ。脳も体も全部な。で、そういう状況ってのは結構限られてる訳で、一番手っ取り早いのはセックス中とか―――…つまり、快感感じてる時」
「……はー。だからキス」
「で、反発ってのは病気に近いんだよ。自分の力だけじゃ発症を抑えられない。なら抗体になり得るものを取り込めば良い」
「カインは一人で抑えてなかった?」
「それは只の実力の差」
年季が違うのよ、と続けるカインに、はぁ、とリオが頷く。
「向こうの世界のものを取り込んで自分のものにして、それを自分にとって異質でないものにする。そうすれば紋章は反発する理由が無くなるから」
不意に横から入った補足に二人の視線が移った。にこりと三つ編みの少年に微笑まれ、リオは困った様に微笑い返す。
―――自分の知るものより、それは何処か自然な微笑みに思えたから。
「所でカイン、帰る前に着替えないと」
それ、こっちの服でしょ? と指摘され、カインははた、と胸元を押さえた。慌てて踵を返す。
「そういやそうだ。悪ぃ、行ってくる」
駆けていく背中とそれを追い掛ける鳥を見送り、三つ編みの少年は再びリオに向き直った。
「カインが世話になったね。もっと早くに来たかったんだけど、ビッキーが中々この世界を見つけてくれなくて」
「あ、いや、こちらこそ」
複雑な表情で頬を掻くリオに、少年は小さくくすりと微笑う。リオが何? と問えば、ううん、と首を振って。
「結構違うんだな、と思って」
何の事かを悟り、リオは苦笑を浮かべて小首を傾げた。
「それは先刻リンにも言われた。でも、君も結構違うよ」
髪長いね、と指摘されると、少年は肩に掛かった三つ編みに指で触れ、横で憮然としたままのルックに視線を向ける。
「僕も彼と同じ年頃にはこの位だったよ。カインに強請られて一度伸ばしたら、切るなって周りから言われちゃって」
「へぇ…」
リオが思わずじぃっと見つめれば、ルックは更に眉を吊り上げた。
「伸ばさないよ。そんな鬱陶しい」
「でもきっと似合うと思うよ?」
「煩いね、伸ばさないったら伸ばさない。…所でさ」
「え?」
不意に矛先を向けられ、三つ編みの少年は一つ瞬く。
「『奥さん』って、あんたの事なの?」
少年が更に二つ、瞬いた。
少年の後方でリンがぷっと軽く吹き出す。その更に後方では、ビッキーがのほほんと湖の水と戯れていた。
「……は?」
「だから、カインの『奥さん』ってあんたな訳?」
再びの問いに暫しの沈黙が訪れる。やがて少年は眉を寄せて頭を抱え、溜息を吐いた。
「……否定はしないけど」
「え、でも」
リオの視線が少年の体を滑る。その意味に少年が肩を竦めた。
「一応男だよ。でも、これ以上は聞かない方が良いと思う」
「何で?」
きょとんと問うリオに、少年の視線がちら、とルックに向けられて。
「…………余りのショックに寝込んじゃうんじゃない?」
小首を傾げつつ本気で案じる様な少年の表情に、リオ達は思わず黙りこくる。
彼等の過去に一体何があったというのか。
「……おーい、何だその暗い空気は」
と、丁度その時、衣服を替えたカインが歩み寄ってきた。宙を飛んでいた鳥がばさっとその左肩に留まる。
自分の居ない間に一体何が。怪訝に眉を顰めるカインに、少年が息を吐いた。
「何でも無いよ。それより忘れ物無い? 何か残していったら厄介だよ」
「無い。ああそうだ、昨日作ったケーキとクッキーはマリーに預けてあるから、適当に食えな。ケーキの方はマッシュの好みに合わせてあるから、あいつにも食わせてやって」
「あ、うん」
頷くリオを見届け、カインがふっと笑みを浮かべる。
……最後なのだと、それで悟った。
「―――カイ…」
「そろそろ、行こうか。人が集まってきた」
騒ぎを聞きつけ集まってきた一般兵士達に、三つ編みの少年が促す様にカインに声を掛ける。
「ビッキー。おいで、そろそろ行くよ」
「はぁーい。もう帰るの?」
「そう。小さいビッキーの気配は判るね?」
「小さいビッキーちゃん? うん、判るよ」
にこりと微笑むビッキーを促し、少年がリオ達から数歩離れた。リンもそれに倣う。
カインもそれに倣い、少年達に歩み寄って。―――けれど後一歩の所で、再びリオ達の方に踵を返した。
「カイン?」
「ちょい待ち」
不思議そうに声を掛ける少年にひらひらと手を振り、カインはリオのすぐ傍まで歩み寄る。どんな顔をしたら良いか判らない―――そんな表情で、困った風にリオがカインを見返した。
「…カイン」
「そんな顔すんな。確かに今生の別れだけど、な」
そっとカインの手がリオの頬に触れる。再び何かを言おうとリオが口を開いて。
次の瞬間、ちゅ、とカインとリオの唇が音を立てて触れ合った。
「……………は」
傍に居たルックとシーナはかぱっと口を開き、リオは予想外の展開に頬を染める。少し遠くでは三つ編みの少年とリンが目を見開き、更に遠くでは一般兵士達も絶句していた。色んな意味で。
「…カ、カイン…?」
困惑気味にリオが呼べば、今度は両頬を包まれて引き寄せられる。間近には真っ直ぐな紅い瞳と、悠然な笑み。
「きっと」
その真摯さに、息を飲んだ。
「どの世界にも、偶然なんて無い。必然も、奇跡も。在るのは、人だ」
そして紅に宿るのは、いつか見た慈愛。
ぽん、とカインの掌が黒髪を撫ぜる。少し欠けた月の夜、この手を父親のようだと思った。
「進め」
小さくそれだけを告げて、細い体がゆっくりとリオから離れていく。
背を向けるその姿に、リオの唇が震えて。
「――――カイン!!」
叫ぶ様に呼ばれ、カインはそっと後ろを振り向いた。
そんな彼にちゃんと微笑えていたかどうかは、リオには判らなかった、けれど。
「……有難う。逢えて、良かった」
只唯一、伝えたい言葉を紡ぐ。
ゆっくりとカインの顔が綻んで。
そうして返されたのは、酷く幼い微笑み。
「じゃあ、な」
最後の一歩が踏み締められた。
三つ編みの少年の翠蒼の瞳が、ゆっくりと伏せられる。
「元気で」


二度と道交わる事無き貴方に幸有れと、切に希った。




















ざわざわと周囲が騒がしい中、リオは珍しく指示を人に任せて佇んでいた。
そんな彼を暫し見つめた後、ルックがそっと傍に歩み寄る。
「……ルック」
「…ん?」
「僕、ちゃんと微笑えてた?」
顔を上げ、ルックはリオの横顔を見つめた。ふわりと風が舞う。薄茶の髪と漆黒の髪を擽って。
思い返せば、やたらと菓子を食べていた二週間だった。あれ以上に美味しいものに、これからの人生で出会う事が出来るんだろうか。甚だ疑問だ。
「うん」
小さな頷きに、リオが満足そうに口の端を上げる。そっか、と返し、背伸びをしながら空を見上げた。
この空は変わらない。
彼が此処に居たとしても。彼が此処に居らずとも。
「あーあ。僕もお菓子作り、挑戦してみようかな」
「……それは止めて」
「……やっぱり?」
けれど確かに何かが変わったのだ。
彼が此処に居たとしても。彼が此処に居らずとも。
彼が何処かに存在しているのを知った事は、事実なのだから。









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さよなら。


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